大食国――と書くといつも「大食らいニンゲンの国」みたいで可笑しくなってくるのですが、これは「タージク」の音訳であり、もとはアラビア人の一派が作った国のことであるが、シナの史書ではアラビア人の国一般を指す言葉として使われる。
さて・・・・・・・・・・・・・・
わたくし(←宋のひと周直夫)が広西にあったころ、老いたムスリムの船乗りに聞いたところでは、
――かの大食国の西に、また巨海あり。この海の西側にもまた
有国不可勝計。
国有りて計るに勝うべからず。
多くの国があって、数え切れ無い。
というのであった。
大食=アラビアですから、その西の巨海といえば地中海のことである。この地中海の沿岸にあって、大食の船が至りつく最も西の国を
木蘭皮国
という。
老ムスリムの言によれば、
――その国には、大食の西の端にある港(訳者注:アレクサンドリアのことであろう)を出帆して、西に海を渉ること一百日にして至るのじゃ。
この大食の船が実にでかいのだそうである。
一舟容数千人、舟中有酒食肆機杼之属。
一舟に数千人を容れ、舟中に酒食の肆、機杼(キショ)の属あり。
一隻の船に数千人が乗ることができ、船中には酒場や食堂、衣服を織る施設などが設けられているのだ。
この船を現代人(←ただし12世紀の)は
木蘭舟
と呼んでいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ここで、
「周先生」
とわし(←現代人・肝冷斎)は言葉をはさんだ。
「それは、いわゆるイスラムのダウ船のことですね。しかし先生の聞いたのは、現実のダウよりずい分大きいようですよ」
「む」
と周直夫はわしの方を睨み、
「そうか。ふん」
と答えた。もちろん
(くそ、未来びとめ、いろいろ情報を持っていると思って上から目線で修正しやがって・・・)
というキモチがありありとしておられる。
ちなみに先生が老ムスリムから聞いてきたこの「木蘭皮」(もくらんぴ)という国は、十一世紀〜十二世紀にアラビアびとがイベリア半島に進出して建てたムラビトゥーン諸王国のことであろうと考証されておりますが、この国は
所産極異。
産するところ極めて異。
産出する物品が、たいへん不思議な物であった。
そうである。
「周先生、わたくしども現代人間には、どんな不思議な物があったのかわかりません。先生はご存知でいらっしゃいますか?」
と水を向けてみると、先生は訊ねられるとうれしいようで、嬉々として次のように教えてくだされた。
○まず、麦である。粒長二寸(宋代の一寸は約3センチ)もある。
○ウリも異常である。周囲六尺(宋代の一尺は約30センチ)にもなる。
○コメ・ムギなどの穀物は、この国では穴を掘って埋めておくと数十年間腐敗することがない。
○一種の羊を産出する。
高数尺、尾大如扇。春剖腹、取脂数十斤、再縫而活。不取則羊以肥死。
高さ数尺、尾は大いなること扇の如し。春に腹を剖き、脂数十斤を取り、再び縫いて活す。取らざれば羊は肥を以て死す。
高さ数尺であるが、尾は大きく、まるで扇のようだ。この羊、春になると押さえつけてハラを裂き、脂肪数十斤を取り出す(宋代の一斤は600グラム弱)。そのあと、羊のハラはまた縫い合わせる。そうすると羊はまた元気になるのである。これをしてやらないと羊は肥りすぎて死んでしまう。
←わたくしのハラからは脂肪を取り出してくれなかったので、すごい肥り、とうとう一部臓器に変調を来たしてまいりました。この健康上の理由でしばらく更新も休まざるを得ないかも知れません。
○また、
其国相伝、陸行二百程、日晷長三時、秋月西風忽起、人獣速就水飲乃生、稍遅以渇死。
その国相い伝うるに、陸行二百程、日晷(キ)の長さ三時、秋月西風忽ち起こり、人獣速やかに水に就きて飲めばすなわち生き、やや遅るれば渇を以て死す。
その(木蘭皮)国でひとびとが伝えて言うには、そこからさらに陸路を二百日分行ったところ、日時計の長さが三時になるあたり(←夏至の正午の日時計の長さが短くなる南の地、ということが言いたいのでしょう)では、秋になると突然起こる西風に気をつけねばならない。この風が吹いたら、ニンゲンもケモノもすぐに水場に行って水を飲まねばならん。飲めば生き残ることができるが、少しでも水を飲むのが遅れると、渇きを覚えて死んでしまうんじゃ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは周直夫の「嶺外代答」巻三に書いてあった。
最近この本引用してなかったので久しぶりですネー。九州時代以来ではないか。なお、この「西風」はサハラ砂漠のシロッコ(熱風)のことなのでしょうネー。