辞表でにゃん。
長江のほとりに天慶観という道教のお寺がございまして、ここに大きな鐘があった。
鐘は遠近に朝と夜の時を告げて重宝されていたが、
一夕大風雷、俄而失之。
一夕大いに風雷するに、俄にこれを失う。
ある晩、暴風が吹き大いに雷が鳴り渡った。朝になってみると、この鐘が無くなってしまっていたのである。
お寺では、盗まれたのだろうと考えて役所に訴え出、役所も各地に手配書を出してその行方を捜したのだが、杳然として見つからなかった。
さて。
翌年の春のこと、
漁者一日渡江、以篙下刺。
漁者、一日江を渡るに、篙を以て下刺す。
ある日、付近の漁師、「ほーいほーい」と漁歌を歌いながら竿をさして、長江に漕ぎ出した。
と、竿の先に何かが当たり、
鏗然有声。
鏗然(こう・ぜん)として声あり。
「こーん、こーん」と音がする。
「なんじゃ? 岩や沈木の音ではないぞ」
と、
細而視之、乃其鐘也。
細してこれを視るに、すなわちそれ鐘なり。
水の中を透かし見たところ・・・なんと、鐘が沈んでいるのであった。
すぐに役所に知らされ、役所でひとを雇って引き上げたところ、まさに天慶観から失われた鐘であった。
なぜこんなところに沈んでいたのであろうか。
あるひとがいうには、鐘のつまみのところに龍が彫られており、これが
与潭下蛟螭格闘。
潭下の蛟螭と格闘するなり。
「この淵の底に住んでいた水竜と闘うためにここにやって来たのではないだろうか。」
と。
「蛟」(コウ)、「螭」(チ)はいずれも「みづち=水龍」。
さすがに
「いやいや、それは妄想しすぎでしょう」
と言うと、そのひと答えるに、
不然、鐘何以致此也。
然らざれば、鐘何を以て此こに致さんや。
「そうでないとすれば、どうして鐘がここまで来たと説明できるのですかな」
むう。
考えてみれば、
夫鐘、其重数千斤、雖百人未易遷徒也。
その鐘、その重さ数千斤、百人といえどもいまだ遷徒するは易からざるなり。
天慶観の鐘は重さが一トン以上もあった。百人かかってさえそう簡単に移動させることはできない重さである。
そんなものが、雨の中でどうして普通に盗まれた、などと考えたのであろうか。
しかも
無故而至于水、是可怪也矣。
故無くして水に至る、これ怪しむべきなり。
理由も無く水の中に沈んでいた、というのも有り得ないことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・彭乗「続墨客揮犀」巻二より。
異史氏:彭乗さん、彫られた龍が戦いに行ったのだ、などというデマに騙されてはいけません。ゲンダイ人のわたしから見ますと、一目瞭然ですが、これは「磁力」のせいですよ。巨大な発電機でナニモノかが電磁波を発生させ、磁場を作り出して持ち上げ運んだのです。その時、大いに風が吹き雷が鳴った、というのも、異常磁場のせいだと考えれば理解できますよ。
彭乗:うーん、あなたの言っていることは理解しずらいのですが、何にせよ宋代のひとにそんなことをしろと言っても無理ですぞ。
異史氏:いや。未来のひとが来ていたと考えればいいのです。そうすれば謎は解けます。
彭乗:なるほど。
ということで、謎は解けましたなあ。「くだらぬ」と言いたいひとは、この世にくだらぬこと以外の何があるかを証してから言ひ給へ。
ちなみにわしが本朝の「沈鐘伝説」の地として万葉以来名高い宗像の「鐘の岬」を訪れたのは、やはり風雨の激しい日であったが、鐘の岬では、いにしえより「あれが鐘じゃ」と言い伝えられてきた海中のモノを、明治になって莫大な資金を以て引き上げてみたら、鐘の形の岩だったのである。ああ、くだらぬ。くだらぬこと以外に何があろうか。三浦の観音崎は観音さまでしたっけ。
「惑星の病」が東京でも確認されてまいりましたなあ。