お休みの日は楽しい。(↓のお話とは何の関係もありません。)
宋のころ、張伯通という物知りの役人が福建に赴任していたときのこと。
ある晩、官邸にお客を招いて食事をしていたとき、このお客たちのひとりが突然手にしていた盃を落とした。
「どうなされた?」
と他の客が訊ねると、そのひと、
「あ、あれを・・・」
と部屋の隅を指差したのである。
そこには、
有一僕立燭下。映燭視之、見其腸胃筋脈圜転上下、歴歴可数、洞徹如鑑。
一僕の燭下に立つ有り。燭に映してこれを視るに、その腸・胃・筋・脈、圜転(えんてん)上下すること、歴々数うべく、洞徹して鑑の如きを見る。
「圜」(エン)は円く回(めぐ)ること。
下僕が一人、燭台の下に立って控えていたのだが、その灯火に照らされている下僕の姿は、腸や胃、筋肉の様子、血管、その中を流れて巡り、あるいは上下するもの、すべて一一数え立てられるぐらい、まるでそのひとが(そういう)鏡に映されているかのようにはっきりと見えたのだ。
衆駭観、莫測其由。
衆駭(おどろ)きて観、その由を測る莫し。
みな、びっくりして目を瞠ったが、誰一人として何故そんなことになるのかわからず、言葉も無かった。
しかし、主人の張伯通は別段驚きはしなかった。
代わりに眉を顰めて、
「おい、この時代にはそれはまだだめだぞ」
と言い、
命易以他燭。遂不復見。
命じて以て他燭に易(か)えしむ。遂にまた見えず。
下僕に命じて他の灯火に変えさせた。すると、もうさきほどのような情景は見えず、下僕も普通に見えるだけであった。
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宋・彭乗「続墨客揮犀」巻五より。内臓・筋肉・血管もコワいですが、上司等にハラの底見られたらまずいことたくさんある。よね。