いい天気でしたなあ。(↓のお話とは何の関係もありません。)
唐の時代に、天台・国清寺のメシ炊きをしていたのが拾得で、彼から残飯をもらっていたのが寒山であり、この寒山に仮託される超俗の詩を「寒山詩」という・・・のですが、「寒山」というひと自体がいたのかどうか、いたとして上のとおりのひとであったのか、これは唐の台州刺史・閭丘胤の「寒山詩集序」にあることなので、もしかしたら寒山・拾得のお話はこの閭丘胤というひとのデッチアゲ、というか創作あるいは脚色によるものなのではないか?
と思うひとも多いと思うのですが、これがなかなか一筋縄ではいかないのだ。
この閭丘胤というひとが自身が、この序の作者という以外には歴史のどこにも出てこないひとであり、もしかしたらこのひと自体が誰かのデッチアゲ、というか創作かも知れないのである。
そうなるともしかしたら閭丘胤自体は寒山が創作したひとかも知れなくなってくるし、どちらも誰かの創作かも知れぬし、閭丘胤が寒山かも知れんし、もうよくわからん。
わからん、わからん、すべてわからん。
ので、考察は止めて、鑑賞いたします。
「寒山詩」の一つ。
時人見寒山、 時人寒山を見、
各謂是風顛。 おのおの謂う、これ風顛なり、と。
貌不起人目、 貌(かお)は人目を起こさず、
身唯布裘纏。 身はただ布裘(ふきゅう)を纏うのみ。
世間のひとはわし(寒山)を見て、
みなさん、こいつはおかしいのだ、ぶっとんでいるのだ、と言う。
わしは顔かたちは人目を引くようなものは無く、
身にはただ、布でできたぶかぶかの服をまとっているだけじゃ。
ただこのひとは大切なことを知っているひと、「賢者」なのだ(と自分では考えているようである)。
我語他不会、 我は語るも他(かれ)会せず、
他語我不言。 他(かれ)語るは我言わず。
為報往来者、 為に報ず、往来者、
可来向寒山。 来たりて寒山に向かうべし。
わしがみなさんに伝えようとしても、みなさんはご理解できないようです。
みなさんがしゃべっているような(世俗のことは)わしはしゃべりませんよ。
この道を行き来するひとにはお教えしてこう、
ここへやってきてわし(寒山)に面と向かってみればよい、と。
いつもながら、賢者(だと自分では考えているひと)の言葉を聞こうとしないひとは、多いですなあ。
最初と最後に「寒山」とあって、終わったらまた始まる、始まるとは終わることである、そんな錯覚を覚えさせる。