在りし日の漁洋山人
わしらが塾を終えてわいわいと遊んでいると、
「これ、おまえたち」
と、漁洋山人(王阮亭ではなく曹七如の方)がわしらに声をかけました。
わしらはまだ幼かった。
「あいー、なんでちょう、おじたま」
と答えたものであった。
今考えてみるに、山人はわしらの塾の鬱鬱庵先生のところへ訪ねてきていたのであったろう。
「おまえたち、仲良くやっているか」
「あいー。仲良くちてまちゅう」
「そうか。お互いに隠し事なぞせずに仲良くやるのじゃぞ」
「あいー、仲良くいたちまちゅう。でも、隠し事はあるかも・・・」
と答えますと、山人は顔を曇らせ、
「隠し事は回りまわって自分にとって損になるのじゃぞ」
と言うて、話し始めた。
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19世紀の半ばごろ、山東・高密府下の陰城郊外で、耕作中の農民Aが変なものを掘り出してしまった。
何を掘り出したのであろうか。
獲一鉄人、高尺余。左手拿鉢、大於盤。
一鉄人、高さ尺余なるを獲たり。左手に鉢の、盤よりも大なるを拿(だ)す。
鉄製のひとがたを掘り出したのである。その高さは30〜40センチほどで、左の手に、大皿よりも大きめの鉄の鉢を捧げていた。
この鉢と左手の間には溶接の継ぎ目があったので、鉢は鉄人の本体とは別に鋳られて継ぎ足されたものと見えた。
ところでこの鉢に
注水移時自沸。
水を注ぐに、移時にして自から沸けり。
水を注いでみると、しばらくするとその水がおのずと沸き立ってくるのであった。
放っておいても水が湯になる。何度やってみてもそうなった。
「これはなかなかなものじゃな。・・・わしで無ければ掘り出せなかったであろうなあ」
農民Aはこれはたいへんなものを手にしたとにんまり笑い、誰にも見せずに秘蔵し、夜分に家族にも隠れて鉢に水を注ぎ、それが湯になるのを見ては
「ああ、これはたいへんなものじゃ。ああ、わしでなければ掘り出せないほどのものじゃ」
とひとり喜んでいたそうだ。
ところが、ある晩、誤って鉢に手をひっかけてしまい、
鉢脱底覆、盛水之下。
鉢脱して底覆り、盛水下に之(ゆ)く。
鉄人の左手から鉢がはずれてひっくりかえってしまい、入っていた水がこぼれ落ちた。
「おお、しまった」
と頭をかきながら農民は鉢を鉄人の左手に戻したが、
再注之、水則冷然也。
再びこれに注ぐも、水はすなわち冷然たり。
もう一度水を注いでみたが、水は冷たいままであった。
二度と湯を沸かすことはなかったのである。
それで、農民Aははじめて鉄人をひとに見せ、
「この像の鉢にはもともと不思議な力があり、たいへんなものじゃった。わしでなければ掘り出せなかったじゃろう代物じゃった」
と言うたのだが、ひとびとにはこの像の不思議な力も、またそれを掘り出せた農民Aのエラさも、とんと理解できなかった、ということだ。
ところで、鉢の裏と、それが載っていた鉄人の手には、それぞれ隷字(漢代から使われた漢字の字体。筆で書くに適する)で文字が彫りこまれておった。農民Aに見せてもらった村の識者によると、鉄人の手のひらには一文字
火
とあり、鉢の裏には四文字
諸葛亮造(諸葛亮、造る)
と読めたのだそうであるが、本当に三国のものであるかどうかまでは知られなかった。
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「・・・というように、隠し事をしていると、自分のほんとのエラさを知ってもらえなくなるかも知れないのじゃぞ」
とマジメな顔をしておっしゃるので、わしらは
「あいー」
と答えておいた。この鉄人は何号ぐらいだったのでしょうね。
なお、この話は、漁洋山人の著書「漁洋夜譚」巻六・珍宝部に記録されています。