漁洋山人が曰う――
山東・金郷に李某という落ちぶれた太学生があった。
音楽が好きで、特に職も無く経営すべき田園も無い。亡くなった両親から相続したのは、千巻の書物と足萎えの驢馬だけである。
無聊に一羽の鸚鵡を飼ってこれに歌を教えた。
するとこの鸚鵡、
踰年而能歌。
年を踰えてよく歌う。
一年もすると歌を歌えるようになった。
そこで李某は
肩負小架、棲鸚鵡以上、跨蹇驢出遊、逍遥山水。得意時則命之歌、而自吹笛以和之。
肩に小架を負い、鸚鵡を以て上に棲ませ、蹇驢に跨って出遊し、山水を逍遥す。得意の時はすなわちこれに歌を命じ、而して自ら笛を吹いてこれに和す。
肩に横木を担ぎ、これに鸚鵡を止まらせ、足なえの驢馬に乗って旅に出、名山名水の地を巡って歩いた。心地よいときには鸚鵡に歌を歌わせ、自らは笛を吹いてこれに伴奏した。
歌に曰く、
人間何事足歓場、策蹇逍遥雲水郷。
曲于相公真雅韻、按歌猶帯雪衣娘。
人間(じんかん)何事か歓びに足るの場ぞ、蹇に策(むち)うって雲水郷に逍遥す。
曲は相公において真に雅韻、歌を按ずるになお帯雪衣の娘。
人間世界に喜びに足りる情況というのがあるのだろうか。
足萎えのこいつにムチを当てて、行く雲・流れる水の中をおまえたちとさまようことぐらいではないだろうか。
伴奏は(読書人階級の)このわたし、まことにみやびやかな曲調、
歌を歌うのは(白い羽毛で)雪の衣を着たようなおまえなのだ。
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鸚鵡は紀元前、既に「山海経」に
人舌能言。
人舌にしてよく言う。
ニンゲンの舌があり、言葉を話すことができる。
とあって、紀元前から言葉を話すことは知られていたが、歌も歌うのである。
ちなみに「淮南子」には
鸚鵡断舌可使言語能言、而不可使長言。
鸚鵡舌を断つに言語よく言わしむべく、長言せしむべからず。
鸚鵡は、舌を切ってしまっても言葉を喋らせることはできる。が、長く喋らせることはできない。
とあり、チュウゴクのひとは昔からこういう実験をしていたのですねー。やっぱりすぐれた文明だなー、と感心してしまいますー。
ところで和語の「しゃべる」と「はなす」はどう違うのか。うーん。と思って大槻大先生「大言海」を繰ったらわかった。
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李某と白い鸚鵡と足萎えの驢馬は、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました、わけではない。
府知事の麦子亭というひとが歌を歌う鸚鵡の噂に興味を持って、李がたまたま家に帰ったときに、府庁の下役の者たちを遣わして無理矢理にこれを奪い去ってしまった。この際、李が人民であれば放っておいてもよいのだが、彼は読書人階級に属するひとである。どこかに訴え出られたりすると困るので、府庁の下役の者たちは、麦知事からの心づけとして、百枚の金貨を打ちひしがれる李の前に置いて行った。
李はしばらく力なく座していたが、やがて立ち上がると、生まれ故郷を棄てる覚悟を決め、その日のうちに足萎えの驢馬に跨って、
捐金於途、歌哭尽日乃去。
金を途に捐てて、歌哭尽日してすなわち去る。
金貨を道路に撒き棄て、悲しみの歌を一日中歌いながらどこかに去って行ってしまった。
さて、知事は歌を歌う鸚鵡を手に入れて大喜びで、多数の賓客を呼び贔屓の楽隊に伴奏させて披露することにしたのであったが、当日、
鸚鵡喑然不出一声、不食数日死。
鸚鵡喑然(いんぜん)として一声を出ださず、食らわざること数日にして死す。
鸚鵡は口をつぐんだかのように一声も出さず、その後、エサを与えても食べず、数日にして死んでしまった。
この事件は任城の王伯敏が連作の詩「鸚鵡の辞」を作っているので、世に知られていることである。
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そうである。「漁洋夜譚」巻十五より。「モノガタリ」は幸せなままではダメで、「こんな世の中もうイヤだよー」にしてやらないと、主人公たちは永久に現世のどこかをさまようことになってしまう。何百年もさまよっていてはたまらんでしょうから、現世を止めてあちら側に行かせてやらないといけないのです。