詩経・魏風・碩鼠に曰く、
逝将去汝、適彼楽土、適彼楽土、爰得我所。
逝きてまさに汝を去り、彼の楽土に適(ゆ)かん、彼の楽土に適きて、爰(ここ)に我が所を得ん。
おまえのところを去って行こう、あのすばらしい地に行こう、あのすばらしい地に行って、そこをわしの居どころにしよう。
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「わかりやすい句じゃろう?」
と韓嬰先生がおっしゃるので、わしらはいつものとおり、
「はーい」
と返事だけはいい返事をした。
「うむ、よく理解できたのじゃな?」
と先生が言うた。この言葉にもいい返事をしてしまうと、次は「では答えてみよ」とか言われるので、わしらは今度は
「理解は、ぜーんぜんできてませーん」
と正直にお答えした。
「うーん、そうか。この句の意味を理解するには次のお話をするのがよかろう・・・」
というて、韓嬰先生が教えてくれたことには―――――
むかしむかし、夏の桀王は酒の池を作り、堕落した音楽を演奏させた。
一鼓而牛飲者三千人。
一鼓するに牛飲する者三千人なり。
一回太鼓を鳴らすごとに、三千人の追随者どもが、酒の池から牛のように酒を飲んだ。
そして、
群臣皆相持而歌。
群臣みな相持して歌う。
追随者どもはみなお互いに声を揃えて歌ったのだ。
その歌がいくつか伝わっている。
―――川の水はたっぷりと、舟の楫は壊れてしもうた。(←これは怠惰に流れることの譬えである。) 我が王はなすべき事もなさらずに、王都・亳(ハク)にご帰還じゃ。わっはっは、亳の都は大きいでござる。
―――楽しいのう、楽しいのう、四頭の牡馬に馬車を引かせて贅沢だ、六頭立てもございます。善くない情況とはおさらばで、こんなに善い情況になりました。楽しくないことなんてありえない。
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これを聞き、その状態を想像し、わしらは憧れに目をきらめかせながら、韓嬰先生に言うた、
「わかりまちたー、これが楽土ということでちゅねー。ああ、楽しそうでちゅねー」
と。
しかるに先生は言う、
「これが楽土ではないのじゃ・・・」
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桀王のもとには伊尹(い・いん)という賢者があった。
伊尹知大命之将至、挙觴告桀。
伊尹、大命のまさに至らんとするを知り、觴を挙げて桀に告ぐ。
賢者・伊尹は、(このような状態は)大いなる天命が下り、王国が滅びようとする前触れであると知り、杯を高く掲げて王に向かって言うた。
その言に曰く、
君王不聴臣言、大命至矣。亡無日矣。
君王臣の言を聴かずんば、大命至らん。亡するに日無からん。
王よ、あなたがわたしの言葉を聞かない(で、このような生活を改めない)ならば、大いなる天命が下りましょうぞ。亡国のときまで、もはや日は残されておりませぬ。
これを聞き、桀王は手を打ち、傲然として笑いて曰く、
子又妖言矣。吾有天下、猶天之有日也。日有亡乎、日亡吾亦亡也。
子、また妖言せんか。われ天下を有(たも)つ、なお天の日あるがごときなり。日に亡ぶるあらんや、日亡ぶれば吾また亡ばん。
おまえもおかしなことを言うものだな。わしがこの地に王として君臨しているのは、空に太陽があるのと同じようなこと。太陽が無くなる日がくると思うのか。太陽が無くなる日が来たなら、わしもまた王の位を失うだろう(。そうでないかぎり、我が王位は永遠に安泰じゃ)。
王は笑い、群臣たちも追従して
「あはははははは」「ぎゃははははは」「うえっへっへへへへ」
その笑い声は四方に響き渡るほどであり、
於是伊尹接履而趨、遂適於湯。
ここにおいて伊尹、履を接して趨(はし)り、ついに湯に適(ゆ)く。
この様子を見て、伊尹は履物を履くと一目散に逃げ出し、とうとう殷の湯王のもとに身を寄せた。
湯王は伊尹を宰相に任じ、殷の国は仁慈に富む湯王と賢者・伊尹のもとで徳と力を貯え、やがて暴虐をほしいままにする夏の桀王を討伐するのである。
伊尹が桀王のもとを逃げ出して殷に赴き、湯王に重用されることになったこと、これこそ、
逝将去汝、適彼楽土、適彼楽土、爰得我所。
逝きてまさに汝を去り、彼の楽土に適(ゆ)かん、彼の楽土に適きて、爰(ここ)に我が所を得ん。
おまえのところを去って行こう、あのすばらしい地に行こう、あのすばらしい地に行って、そこをわしの居どころにしよう。
という句にぴったりすることである。おまえたちにもすべてを棄てて、自分を生き返らせる新たな地に赴かねばならないときがあるであろう。
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「韓詩外伝」巻二より。
数多い伊尹伝説の一つ、ということになりますが、「楽土」というのは「うひゃひゃ」と言いながら牛飲するところではなくて、用いられて仕事をするところだったとは・・・と驚く方もあるかも知れませんね。
ちなみに、この句、現行の詩経(すなわち毛氏の伝えた詩経テキスト)では
逝将去女、適彼楽土、楽土楽土、爰得我所。
となっており、別に意味が変わるわけではないが、ちょっと違う。