明日、また月曜日が来ます。
どうやって週末まで生きていけばいいのでしょう。
我に答えよ、そのすべを。盲目の賢者テイレシアスよ。(文末に続く)
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杭州に向かう街道を行くと、道端に一軒の茶店があった。
一服注文して啜りながら見ると、柱と柱に対聯が掲げられていた。
右の聯を見るに、
四大皆空。座片刻、無分爾我。
四大みな空なり。座すること片刻、爾と我を分かつ無し。
「四大」は印度教の考える、現世を作る物質の基本要素たる地・水・火・風の四種のエレメントのこと。ニンゲンが死ぬのを「四大が散じる」と言ったりもします。この「四大」に「空」が加わると世界を構成する「五輪」になる。
物質はすべて無である。ここに座っているわずかな間には、おまえとわたしの別などない。
左の聯を見るに、
両頭是路。喫一盞、各自東西。
両頭これ路なり。喫すること一盞(さん)、各自に東西す。
目の前には街道が横たわっている。ここで一杯の茶を啜って、みなそれぞれに東と西に別れていく。
商売用の浅はかな言葉(「浅語」)であるが、すこぶる考えさせれたものであった。
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梁章矩「楹聯叢話」巻十二より。
(上の続き)テイレシアスは、
「ふほほ、おまえさん、十分わかっているじゃろうに」
と言うのである。
「む、むむむ・・・」
そうなのだ、どうすればいいのかはよくわかっているのである。賢者はいつまでコマになっているのだ、そろそろ潮時ぞよ、と、師父のように暖かに叱ってくださっているのだ。