ニンゲン怖い。(↓とは何の関係もありません。)
いわゆる「対聯」について、時空を超えて各地から報告が上がってきております。
@ 床屋
清の時代のチュウゴクには「薙髪店」というものがありました。「それはなんじゃ」というに、頭を剃ってくれるところである。理容店である。
福建・福州の薙髪店に「整容堂」という扁額のかかった店があり、この扁額の左右に対聯があった。
雖然毫末技芸、 然り、毫末の技芸と雖も、
却是頂上工夫。 却ってこれ、頂上の工夫なり。
そのとおり。細かな先っぽの技術でしかない。
しかしながら、てっぺんの一番上の工芸である。
「ほう」
わしは嘆声を上げた。
雖巧而不傷繊。
巧みといえども繊に傷まず。
「うまいな。しかし繊細すぎるというわけでもない」
・・・・・・・というのは、清末の梁茝隣さんからのご報告でした(「楹聯叢語」巻十二より)。理髪の技についてなかなか上手に表現しておりますね。
A
医者
明治の終わりに
その杉浦医院の待合室に掛かっていた額を読むに、
指頭現鬼 指頭に鬼を現じ、
心底蔵仏 心底に仏を蔵す。
指先には不思議を起こす精霊を出現させるぞ。
心の底には衆生済度のみ仏が籠もっている。
医者の心構えらしいです。
町医者なので、待合は畳敷きで、隣の部屋が診察室になっておりました。覗いて見ると、いくら指先に精霊がいてゴッドハンド化しているとしても、こんなところで手術されたら痛そうだなあ、と思いました。
・・・・・・・というのは、わし(肝冷斎)の親しい友人である鬱々庵先生からのご報告でした(
↓証拠写真