がんばってください。
呼び出しの声まつ外(ほか)に今の世に待つべき事の無かりけるかな
はじめてこの歌を、誰の作とも聞かずに読んだとき、旅の境涯に暮らすわしは、幼いころ、昭和後半のたゆたうような午後の時間、近所の米穀販売店の土間で、店員たちとともにすもう中継に見入っていた近所の老人の幸せそうな顔(おそらく彼は当時既に恍惚境にあったのであろう)と、店員らが吸っていた(大人の男はみな吸っていた)タバコの臭いを思い出して、
「いい歌じゃのう」
と感じ入ったものである。(ついでに近所のひとみんなでトトカルチョやっていたのも思い出した。)
ところが作者と作歌事情を知ったらがっかりした。なんだ、そんな歌だったのか。
・・・どんな歌であったかは次回か次々回かそこらへんにしまして、今日は旅びとの話です。
清の末ごろのこと、天津の某家には水がめがありました。かなり古い物だと思われましたが、その家の主人は明の時代には我が家のものであったのだ、と言っておりました。
おまけにこの水がめは、毎日夕方に川の汚れた水を汲んでくるのですが、次の日の朝になると透明の澄んだ水になっているので、その家では家宝のように扱っておりました。
ある日、その家に、北京からのお客さんがお泊まりになられた。そこで、普段使っていない客間を空けてお泊めしたのであった。
・・・夜半。
どすん。
という音がして、客間の窓に何かがぶつかった。
そのあと、
「なんだ、これは? つやつやしているな。どれどれ・・・」
という客の声がした後、少しだけ間を置いて、
大嘩。
大いに嘩(さわ)ぐ。
「うぎゃああああああ」
お客の叫び声が夜のしじまを切り裂いた。
「どうなされた!」
主人の某は扉を開けて客間に入ろうとしたが、内側から鍵がかかっていて開かない。
下人と力を合わせて、
主人破扉而入、客已不起。
主人扉を破りて入るに、客すでに起たず。
主人、扉を破って客間に入り込んだが、そのときにはすでに、お客は血の海の中、仰向けに寝転がって息絶えていた。
「こ・・・これは・・・」
客は、左の腕が根元から無くなっており、そこからの出血が多くてこと切れたものと見てとれた。
「むう、何者が・・・」
「だんなさま、あれを・・・」
と下人の指さす先を見るに、
「うむ。血のあとがこちらにつながっておるな」
尋其血迹、入缸後。発之、缸下清水盈盈。
その血迹を尋ぬるに、缸(コウ)の後に入る。これを発するに、缸下に清水盈々たり。
その血の跡を追いかけていくと、例の水がめの下につながっていた。
「・・・?」
主人と下人が水がめを取り除けてみると、その下には清らかな水が満ち溢れていたが・・・。
その水の中に、
一大蛤長三尺、闊半之。破其殻、得客半臂。
一大蛤の長さ三尺、闊(ひろ)さこれに半ばするあり。その殻を破るに、客の半臂を得たり。
巨大な二枚貝がうごめいていた。その長さは三尺(一メートル近く)、幅はその半分ぐらいもあるのだ。
「これか」
主人と下人は取るものもとりあえず、スキとクワで二枚貝を叩き潰した。
殻の中からは溶けかけた客の片腕が出てきた。
翌日、役所の取調べも終わり、客人の骸を清めて棺に納め、北京から引き取りに来るのを待っているときであった。
下人、はたと膝を叩いて言うに、
「そうか・・・。だんなさま、
方悟水自清、蛤在缸下故也。
まさに悟る、水自ずから清きは蛤の缸下に在りしが故なり。
やっとわかりましたぞ。
水が一晩起つと自然に清くなっていたのは、二枚貝が水がめの下にい(て、水を吸い込んで砂を水がめの下に沈殿させ、きれいな水を水がめの中に吐き出してい)たためだったのですよ。」
「なるほどのう」
と主人も頷いた、ということである。
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清・李酔茶先生「酔茶志怪」巻二より。今日は東北地方のホテルにいますがハマグリ出るとコワいので寝られん。みなさんも旅行に行ったときは気をつけてください。腕とられちゃうかも知れんぞ。
忌野清志郎さんが亡くなったのですなあ。なむ。