雲のごとし。
先ごろ(14世紀のはじめごろ)、浙江・余姚の三山に林観過という少年がいた。
いわゆる神童というやつで、早くから文学に熟した。
年七歳、嬉遊市中、以鬻詩自命。
年七歳にして市中に嬉遊し、詩を鬻ぐを以て自命す。
七歳のときには街中でふらふらするのを楽しみ、ひとに乞われて詩を作って自活していた。
親がどうしていたかは知られない。
例えばあるひとが試みに「転失気」の詩を作ってみよ、と言うと、少年たちどころに筆をとって
視之不見名曰希、 これを視れども見えず、名づけて「希」といい、
聴之不聞名曰夷。 これを聴けども聞こえず、名づけて「夷」といい、
不啻若自其口出、 ただにその口より出づるがごときのみならず、
人皆掩鼻而過之。 人みな鼻を掩いてこれを過ぐ。
じろじろ視てみても見えません。「目に見えぬ」という。
耳そばだてて聴いてみても聞こえません。「すかし」という。
(音もしないので)口から出たかのように思われるのだが、
まわりのひとはみな鼻を覆って通り過ぎて行く。
「ほほう」
「いや、これは素晴らしい。目、耳、口、鼻の七穴がすべて詠み込まれている」
「大したもんだ、これを取っておけ」
と作詩料をもらって、
「ありがとうございまちゅ」
と少年はお礼をするのであった。
ちなみに、「転失気」とは何ぞや。
「失気」だけで「おなら」を意味し、「転失気」は、おならが肛門から出ず、腹中で音がすること、和語でいう「へがえり」のことである・・・というのはわたしが言うているのではなく、諸橋轍次大先生が言うている(「大漢和辞典」巻十)のだから笑ってはいけません。なお、「転失気」で「おなら」のことを言うこともあるよし。ここは上記の記述から見て「すかしっぺ」を意味すると考えるべきであろう。
閑話休題。
このような神童でありましたが、
林曾試神童科、不甚達。
林かつて神童科を試みるも、甚だしくは達せず。
林少年は神童科(科挙の一種で少年を対象とするもの)を受験したが、大した答案は書けず、試験官の評価を得ることはできなかった。
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と、元の蒋正子の「山房随筆」に書いてあった。なお、林少年のその後については不明である。
ちなみに清の時代に、嘉善の何文煥という文人、これを読んで、はじめ「むむむ」と赤い顔をして唸り、ついで「がはは」と快活に笑い、「そりゃそうじゃろう」と独り言を言いながら、筆をとってその下に一文を書き足した。
侮聖経、涜文字、罪莫大。不達而無奇禍、猶其幸也。
聖経を侮り、文字を涜(けが)す、罪莫大なり。達せずして奇禍無きこと、なおそれ幸なり。
(このような態度で科挙を受けるなどとは)聖人の遺した四書五経の経典を侮蔑し、神聖なる文字を冒涜するものであり、罪これより大なるものの無いほどの重罪である。大した答案が書けず、偉い方々の耳に名前と行動が届かなかったからよかったものの、そうでなければ逆にどんなたいへんな罰を受けたかも知れぬ。まだしも幸運だったというべきだろう。(「歴代詩話考索」より)
宮仕えしているとどんな奇禍があるかもわかりませんので、とりあえず幸いであったというべきであろうか。
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