令和2年5月6日(水)  目次へ  前回に戻る

そろそろテルテルのかきいれどきだ。それにしてもぶら下がっているだけで、じぶんは何もしないのに勝手に晴れたら評価される仕事とは、怪しからん。

今日は「休日」でしたが、雨でした。明日からいよいよ平日か・・・。

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雨だと困ります。明の文人、袁中郎も、

数日陰雨、苦甚矣。

数日陰雨して、苦甚だし。

この数日は、じとじとした雨が降って、たいへん困っていた。

それでも、

至双清荘、天稍霽。

双清荘に至るに、天やや霽(は)れたり。

双清荘に着いた頃には、空に少し晴れ間も見えていた。

「双清荘」というのは、仏教の聖地である浙江・天目山の中にあって、山中で修行する僧侶たちが共有する宿舎です。

荘在山脚、諸僧留宿荘中。僧房甚精。

荘は山脚に在りて、諸僧荘中に留宿す。僧房甚だ精なり。

この宿舎は、天目山の麓にあって、多くの僧侶が長期滞在しているのだが、僧侶用の部屋(我々もそこに泊めてもらった)は実にきれいさっぱりとしている。

そして、

渓流激石作声、徹夜到枕上。

渓流石を激して声を作し、夜を徹して枕上に到れり。

山から流れて来る渓流が石にぶつかって音を立て、それが枕もとに一晩中聞こえていた。

・・・・(ぶーすか)・・・・

次早山僧供茗糜、邀石簀起。

次早、山僧茗糜(めいび)を供え、石簀の起くるを邀(むか)う。

「石簀」は同行の文人、陶石簀くん。隣室に泊まっています。

翌朝、(荘の世話をしている)山中の僧が、お茶がゆを持ってきてくれて、石簀のやつを起こしに行った。

すると、

石簀嘆曰、暴雨如此、将安帰乎。有臥遊耳。

石簀嘆じて曰く、「暴雨かくの如し。はた、いずくにぞ帰せんや。臥遊有るのみ。

石簀の残念そうな声が聞こえた。

「こんなひどい雨ですよ。いったいどこに行くことができましょうか。蒲団の中でどこかに行った夢でも見ているしかありませんよ」

「臥游」についてはこちらを参照。石簀は少し意味をずれさせて、気の利いた典故の使い方をしています。

僧は言った。

「何をおっしゃいますか?

天已晴。風日甚美。

天すでに晴れたり。風日甚だ美なり。

空はもう真っ青に晴れてます。風もお日様もたいへんうるわしい日ですよ」

「いや、しかし、雨の音が・・・」

「なるほどね・・・、うっしっし」

僧は笑った。

響者乃溪声、非雨声。

響けるはすなわち溪声にして、雨声にあらざるなり。

「ざあざあうるさく聞こえているのは、あれは谷川の音ですよ。雨の音ではありません」

「なんですと!」

石簀大笑、急披衣起。夢中誤以為雨、愁極遂不能寐。

石簀大笑し、急に衣を披て起てり。夢中誤ちて以て雨ならんとし、愁い極まりて遂に寐(い)ぬるあたわざるなり。

石簀は「がはははー」と大笑いしながら、急いで着物を着て起きて来た。うとうとして聞いていて、雨の音だと誤解してしまい、絶望のあまり一晩中眠れなかったのだそうである。

(うとうとはしたみたいですがね・・・)

われわれは、

啜茗数碗、即同行。

茗を啜ること数碗、即ち同行す。

お茶がゆを数杯お代わりすると、すぐに一緒に出かけた。

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明・袁中郎「游記」より「初至天目双清荘記」。雨ではなかったのです。しかも二人はこの日から数日かけて、天目山観光をして、

天目幽邃奇古不可言。

天目幽邃にして奇古言うべからず。

天目山はかそけく奥深く、不思議で原始的で、コトバになんてできやしない。

と言いながら、七つの「絶」(よそには絶対ないすばらしさ)を見て回りました。

彼らの休みはまだ続くのだ。こちらは平日だというのに・・・。

 

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