そろそろテルテルのかきいれどきだ。それにしてもぶら下がっているだけで、じぶんは何もしないのに勝手に晴れたら評価される仕事とは、怪しからん。
今日は「休日」でしたが、雨でした。明日からいよいよ平日か・・・。
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雨だと困ります。明の文人、袁中郎も、
数日陰雨、苦甚矣。
数日陰雨して、苦甚だし。
この数日は、じとじとした雨が降って、たいへん困っていた。
それでも、
至双清荘、天稍霽。
双清荘に至るに、天やや霽(は)れたり。
双清荘に着いた頃には、空に少し晴れ間も見えていた。
「双清荘」というのは、仏教の聖地である浙江・天目山の中にあって、山中で修行する僧侶たちが共有する宿舎です。
荘在山脚、諸僧留宿荘中。僧房甚精。
荘は山脚に在りて、諸僧荘中に留宿す。僧房甚だ精なり。
この宿舎は、天目山の麓にあって、多くの僧侶が長期滞在しているのだが、僧侶用の部屋(我々もそこに泊めてもらった)は実にきれいさっぱりとしている。
そして、
渓流激石作声、徹夜到枕上。
渓流石を激して声を作し、夜を徹して枕上に到れり。
山から流れて来る渓流が石にぶつかって音を立て、それが枕もとに一晩中聞こえていた。
・・・・(ぶーすか)・・・・
次早山僧供茗糜、邀石簀起。
次早、山僧茗糜(めいび)を供え、石簀の起くるを邀(むか)う。
「石簀」は同行の文人、陶石簀くん。隣室に泊まっています。
翌朝、(荘の世話をしている)山中の僧が、お茶がゆを持ってきてくれて、石簀のやつを起こしに行った。
すると、
石簀嘆曰、暴雨如此、将安帰乎。有臥遊耳。
石簀嘆じて曰く、「暴雨かくの如し。はた、いずくにぞ帰せんや。臥遊有るのみ。
石簀の残念そうな声が聞こえた。
「こんなひどい雨ですよ。いったいどこに行くことができましょうか。蒲団の中でどこかに行った夢でも見ているしかありませんよ」
「臥游」についてはこちらを参照。石簀は少し意味をずれさせて、気の利いた典故の使い方をしています。
僧は言った。
「何をおっしゃいますか?
天已晴。風日甚美。
天すでに晴れたり。風日甚だ美なり。
空はもう真っ青に晴れてます。風もお日様もたいへんうるわしい日ですよ」
「いや、しかし、雨の音が・・・」
「なるほどね・・・、うっしっし」
僧は笑った。
響者乃溪声、非雨声。
響けるはすなわち溪声にして、雨声にあらざるなり。
「ざあざあうるさく聞こえているのは、あれは谷川の音ですよ。雨の音ではありません」
「なんですと!」
石簀大笑、急披衣起。夢中誤以為雨、愁極遂不能寐。
石簀大笑し、急に衣を披て起てり。夢中誤ちて以て雨ならんとし、愁い極まりて遂に寐(い)ぬるあたわざるなり。
石簀は「がはははー」と大笑いしながら、急いで着物を着て起きて来た。うとうとして聞いていて、雨の音だと誤解してしまい、絶望のあまり一晩中眠れなかったのだそうである。
(うとうとはしたみたいですがね・・・)
われわれは、
啜茗数碗、即同行。
茗を啜ること数碗、即ち同行す。
お茶がゆを数杯お代わりすると、すぐに一緒に出かけた。
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明・袁中郎「游記」より「初至天目双清荘記」。雨ではなかったのです。しかも二人はこの日から数日かけて、天目山観光をして、
天目幽邃奇古不可言。
天目幽邃にして奇古言うべからず。
天目山はかそけく奥深く、不思議で原始的で、コトバになんてできやしない。
と言いながら、七つの「絶」(よそには絶対ないすばらしさ)を見て回りました。
彼らの休みはまだ続くのだ。こちらは平日だというのに・・・。