今日は立夏節でもありますね。実家に武者人形があって、今も押し入れの中に入っているはず。「口のあるモノは年に一度は風に当ててやらないと、要らぬことを言い出すものじゃ」という説もあるらしいのですが・・・。
子どもの日です。今年は「子どもの日特別〇〇」がほとんど無いみたいで物静かな社会ですね。1985年のプラザ合意で内需拡大方針を定めるまでの「子どもの日」はこんなものだったかなあ、という気がします。
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子どもの日なので、子ども(っぽい人)のお話をしましょう。なにしろ子どものやることだから目くじら立ててはいけません。
明の顧文鼎というひとは後に科挙に受かってエライ役人になったひとですが、
少時寓寺中、盗隣家狗。烹之薪尽、揖一羅漢云、有煩長老。
少時、寺中に寓するに、隣家の狗を盗む。これを烹んとして薪尽き、一羅漢に揖(ゆう)して云わく、「長老を煩わす有り」と。
子どものころ、お寺の中に住んでいたのですが、あるとき、
「腹が減りましたね」
と、隣の家で飼っていたイヌを盗んできて、殺した。これを煮て食べようというのだが、生煮えのうちにたき木が無くなってしまった。
そこで、お寺のお堂に行き、羅漢(「阿羅漢」の略で、「アラハト」の音訳。仏道修行のかなりの地位まで行ったひと。部派仏教(今は小乗仏教とはいいません)では次に生まれてくるときはもうブッダしかないレベルの最高位)さまの木像に一礼して、
「長老さまにご協力いただきますよ、うっしっし」
と言いました。
遂提以供爨。
遂に提して以て爨(かしぎ)に供えたり。
そして、引っ提げて行って、薪木に使ってしまった。
ひどいやつですねー。
なお、「爨」(さん)は29画もある怪しからん字ですが、実にわかりやすくて上半分は両手で青銅器のナベ(「同」)を持ち、「ワ」がカマドで、下から「火」が燃やされ、そこに薪(「木」)を二本、両手(「大」の形になっています)で入れている、という絵解きパズルみたいな字形です。
少し後の世代になりますが、やはり明の時代の陸起龍というひとも、子どものころお寺におりました。
得肥犬。
肥犬を得たり。
肥ったイヌを手に入れた。
「これは美味そうでちゅなあ。しかし薪木がないぞ」
そこで、
掇伽藍代炊。
伽藍を掇(けず)りて炊に代う。
お寺の建物を削ってきて、薪木に代えた。
んだそうです。
陸起龍の方は、わざわざ詩を作っています。
夜半狗羹猶未熟、 夜半、狗羹なおいまだ熟さず、
伽藍再取一尊来。 伽藍再び取り、一尊来たる。
夜中になってもまだイヌスープが煮え切れないので、
寺院は二回削られた、仏さまがおひとり来られた。
仏像も一体焼いたのです。こいつもひどいやつですねー。
ああ、だが、
二公同負才望、性皆俊爽、顧位至宰相、而陸官儀行人。豈狗羹尚未飽啖耶。
二公、同じく才望を負い、性みな俊爽、顧は位宰相に至り、陸は儀行人に官す。あに狗羹なおいまだ飽啖せざらんや。
このお二人は、同様に才能と人望があり、性格は俊秀にして爽快、顧鼎臣さまは後に宰相にまで昇られ、一方の陸起龍も侍従の官に就いたのである。どうして、イヌのスープが腹いっぱいに食えないからというだけの理由でそんなことをするはずがあろうか。
有志状元宰相者、当知所従事。
状元・宰相を志す有る者は、まさに従事するところを知るべきなり。
科挙試験の首席とか、宰相(明では皇帝の意を受けて省庁を指揮する「内閣大学士」のこと)とかになろうとする人が、何をしようとしていたのか、みなさんもよくよく考えねばなりませんよ。
二人とも、事情があってお寺に預けられていたというようなことではなく、実はお寺を借りて、科挙試験の勉強をしていたんです。苦学していたんで、イヌを食って元気になろうとしたんでしょうが、それは志を遂げるためだから立派な行為だったのだと考えられます。しかも、その背景には、まだ若いとはいえ知識人の端くれとして、仏法の偶像崇拝への批判も含んでいたのである。
なお、顧鼎臣の方は、大人になってからは「柔媚」(優柔不断で権力者に追随する)と評されるようになってしまい、
大失本来面目矣。
大いに本来の面目を失えり。
もともとの性格や資質をずいぶんと失ってしまったものである。
大人になってから、深い(?)思想のもとに行動したひともいる。
嘉靖年間(1522〜66)の初めに、広東に赴任した魏荘渠が
游黄梅寺、借観初祖衣鉢。
黄梅寺に游びて、初祖の衣鉢を借観す。
黄梅寺というお寺に見学に行って、開祖さまから引き継いでいる法衣とメシを食う茶碗を見せてもらった。
もちろん、お寺の宝物です。
魏荘渠はそれを手にするや、突然、
「一つ、僧侶は子どもを作らず、祖先に申し訳ないのではないか。二つ、国家に税金を納めず、君をないがしろにしている。三つ、貧しい者たちから言葉巧みに喜捨をさせ、不仁ではないか。四つ、夷狄のインド人の宗教を信仰するなんて売国行為ではないか」
と言って、
信手砕之。
手に信(まか)せてこれを砕く。
自分の手で、茶碗を砕き、衣服を裂いてしまった。
あわてふためく僧侶らの顔も目に見えるようであり、実に、
殊快人意。
殊(こと)に人意を快ろよくす。
特別にわれわれのキモチを爽快にしてくれる行為であった。
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「茶余客話」巻十四より。腹減ったならイヌ食うのはいいと思うんですが、仏像や茶わんは大事にしないと。
他人の立場や感情など関係無しに、自分たちの正義と倫理を押し付けて、「理によって人を殺す」のがチャイナ古典知識人の特徴です。子どもに権威(と権力)を与えたみたいなもので、実に害悪を振りまくばかり・・・あれ? ゲンダイのワレワレの国にいる「知識人」も同じでは?