と怒られたりもしたと思います。今は大人のみなさんも。
「いつまでほっつき歩いておるのか!」と産土神(うぶすな)さまの声が聞こえるぞ。
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孔子適斉。
孔子、斉に適(ゆ)く。
孔子は斉の国に行こうとした。
その途中で、
聞哭者之声。其音甚哀。
哭する者の声を聞く。その音甚だ哀れなり。
悲しみに泣いている者の声が聞こえてきた。その声はあまりにも哀切に満ちていた。
孔子は、馬車の中から御者に言った。
此哭哀則哀矣。然非喪者之哀矣。
此の哭、哀なることは哀なり。然れども喪者の哀にはあらざらん。
「あの泣き声は、哀切なことまことに哀切である。しかし、あれは最近亡くなったひとを弔う哀切さではないようじゃな」
しばらく行くと、
有異人焉。擁鎌、帯索。哭者不衰。
異人有り。鎌を擁し、索を帯ぶ。哭すること衰えず。
変な人がいた。鎌を腰にさし、縄を帯にしていた。孔子たちが通りかかっても、その泣き声は変わらなかった。
喪に服しているなら鎌を持って日常生活をしているはずがないので、喪に服しているひとでないことがわかる。
「語ってみよう」
孔子は馬車から飛び降りて、そのひとを追いかけて声をかけた。
子何人也。
子は何びとぞや。
「おまえさんは、どういうひとじゃな?」
その人は振り向いて、答えた。
吾丘吾子也。
吾は丘吾子(きゅうごし)なり。
「わしは丘吾子というものですじゃ」
「おまえさんは今現在、どうも喪に服しておられるわけではなさそうじゃ。それなのに、どうしてそんなに哀切に泣いておられるのか」
すると、丘吾子は答えた。
吾有三失。晩而自覚。悔之何及。
吾に三失有り。晩にして自覚す。これを悔ゆとも何ぞ及ばんや。
「わしには、三つの「取り返しのつかないこと」があって、この年になってやっとわかった。今後悔しても及ばない。だから泣いておるのですじゃ」
「ほほう。
三失可得聞乎。
三失は得て聞くべきか。
その三つの「取返しのつかないこと」、教えていただけますかな?」
丘吾子は答えて言った。
吾少時好学、周徧天下。後還喪吾親。是一失也。長事斉君、君驕奢失士、臣節不遂。是二失也。吾平生厚交、而今皆離絶。是三失也。
吾、少時に学を好みて天下を周徧せり。後、還りて吾が親を喪す。これ一失なり。
長じて斉君に事(つか)うるに、君驕奢にして士を失い、臣節遂げず。これ二失なり。
吾、平生交わりを厚うするに、今みな離絶せり。これ三失なり。
「わしは、若い頃、学問をしたいと思って、天下をあまねく経めぐった。その間に両親が死んでしまい、わしは帰郷して喪に服することしかできなかった。これが「取り返しのつかないこと」のその一でござる。
成人の後、わしは斉侯にお仕えしたが、侯はぜいたくで気位が高く、志ある部下の心を得ることができず、わしもまた途中でそのもとを辞したから、臣としての義務を果たしきれなかった。これが「取り返しのつかないこと」のその二でござる。
わしは、ずっと友人たちと手厚く付き合って来たつもりじゃった。ところが、今この年になると、みなわしから離れて行ってしまった。これが「取り返しのつかないこと」のその三でござる。
夫樹欲静而風不停。子欲養而親不待。往而不来者年也。不可再見者親也。
それ、樹は静からんと欲すれども風停まず。子は養わんと欲すれども親待たず。往きて来たらざるものは年なり、再び見るべからざるものは親なり。
ああ、樹が静かになろうとしても、風が止まないのではしようがない。子が親の世話を見たいと思っても、親の方は待ってくれない。行ってしまうばかりで戻ってこないのは時間というものじゃ、二度と会えないのはおとっつあんとおっかさんなんじゃ」
そう話すと、孔吾子は孔子に向かって、
請従此辞。
請う、これより辞せん。
「それでは、これでお別れしたいと思いますじゃ」
と言うと、
遂投水而死。
遂に投水にして死せり。
ただちに川に身を投げて死んでしまったのである。
彼は誰かに告げなければならなかったことを告げたので、彼の生の意義はすべて終わったのだということだ。
孔子は弟子たちを振り向くと、言った。
小子識之。斯足為戒矣。
小子これを識(し)るせ。これ戒めと為すに足れり。
「小僧っこども、いまのコトバをよくよく覚えておくがよい。これは、(こんな生き方をしてはいかんという)イマシメとするに足るコトバじゃぞ」
と。
自是弟子辞帰養親者十有三。
これより弟子(ていし)の辞帰して親を養う者、十に三有り。
このあと、弟子たちのうち十分の三が、親の世話を見たいと言って、故郷に帰って行った。
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「孔子家語」巻二より。いわゆる「風樹の嘆」(孝行したいときには親は無し)の典拠とされる一節です(「韓詩外伝」(巻九)にはほぼ同じ説話(死に方が違う)を載せて人名を「丘吾子」ではなく「皐魚」(こうぎょ)としており、一般には「韓詩外伝」の方を典拠としているので、科挙試験などを受ける予定の人は注意が必要)。肝冷斎も人生の意義を失い尽くす前に、早くどこかに「辞帰」しないといけないなあ。親はもう養わなくてもいいんで楽ちんですが。
ところで、「丘吾子」という名前について。孔子の名前は「丘」ですから、「丘吾子」は「おれは丘という名のおとこ」というふうにも聞こえます。このひとは、幼くして父、若くして母を亡くした孔子の、どこかで身を分かった「影」であったのに違いない。