令和2年4月29日(水)  目次へ  前回に戻る

昭和は遠くなりにけり。

今日はすぐ「天皇誕生日」と思ってしまうんですが、「みどりの日」ではなくて「昭和の日」でした。

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最初のイメージは重要ですから、看板や、あるいはキャッチコピーというのは、とても大事です。

余遊歴之地、不過七八省、毎見古碑石刻及扁額楹帖之類、其最佳者、輒為手記。

余、遊歴の地は七八省に過ぎざるも、古碑石刻及び扁額・楹帖の類を見るごとに、その最も佳なるものはすなわち手記を為せり。

わしがシゴトの関係で行ったことのある地方は、(中華十八省のうち)七〜八省に過ぎない。しかし、あちこちで、古い石碑の刻字、あるいは建物の正面にかかっている扁額、両方の柱に書いてある楹聯の類を見て、「これはすばらしい」と思ったものはすべてメモして手許に控えてある。

しかし、それはここでは紹介しません。

そうでなくて、

最可笑者、亦不能忘也。

最も笑うべきもの、また忘るるあたわざるなり。

むちゃくちゃ可笑しかったものは、(メモしなくても)やはり忘れることができないので(今日はそれを紹介するので)ある。

酒屋の入り口に、

扁額曰二両居。

扁額に曰く、「二両居」。

頭上に横に懸けられている額に、「二人の居(る店)」と書いてある。

「誰と誰ですか?」

と問う必要もない。

楹帖曰、劉伶問道誰家好、李白回言此処高。

楹帖に曰く、「劉伶問いて道(い)う、誰が家か好ろしき。李白回(かえ)して言う、この処高し」と。

左右の柱に書かれた楹聯にはこうあった。

劉伶が訊ねて言った、「どこの店がよいかいな?」

李白が答えて言った、「この店がよさそうじゃ」

劉伶は竹林七賢の一人で、お酒が大好き。女房からお酒を止めろと口やかましく言われ、お酒を隠されてしまったので、ついに一念発起して禁酒することにした。そこで神さまに誓いの儀式をする、と言い出して、女房に神さまに供えるお酒を持ってこさせると、やおら「女には何もわかるはずはございませんなあ」と神さまに語りながら、そのお酒を飲んで酔っ払ってしまった、という。李白はご承知のとおり、「一斗飲めば詩が百篇できる」と言われた酒仙詩人である。

この扁額と楹聯のセットは、

在処皆有。

在処にみな有り。

実にあちこちで見かけた。

河南の永城から睢州にかけての一帯では、

有酒店一聯云、入座三盃酔者也、出門一拱歪之乎。

酒店に一聯有りて云う、「座に入りて三盃すれば、酔者なり。門を出でて一拱すれば、これ歪まんか」

酒屋の左右の聯には、

入って座って三杯飲めば、ほら、もう酔っ払い。

終わって門出てあいさつすれば、なんと背筋がぐーらぐら。

と書いてある。こんなの見たら、

已足供噴飯矣。

已に噴飯を供えるに足れり。

口の中のごはんを噴き出すのに十分ではありませんか。

一方、南陽のあたりではどこの家でも門柱に、

五湖天馬将、四海地龍軍。

五湖の天馬将、四海の地龍軍。

五つの湖には天馬の将軍、四方の海には地龍の軍団。

と書いてあるのだが、申し訳ないが、

竟不知作何語。

ついに何の語を作すかを知らず。

どう考えても何のことを言っているかわからない。

勇ましいのは勇ましいので、何らかの言い伝えがあるのかと訊いてみたのだが、地元の人々もにこにこしながら「さあ?」と首をかしげるだけであった。

湖北・武昌の城隍神の廟の拝殿の上、

有金書大扁四字、曰、不其然而。

大扁に金書して四字有り、曰く「それ然らずして」。

巨大な扁額に金泥で四文字が書かれていた。「そうではない、そして」と。

尤可笑者。

尤も笑うべきものなり。

これほど可笑しいのは無かった。

わはははー。字が上手なのがまたなんとも・・・。

一番驚いたのは、山東・済南の府城にある立派な酒場の扁額で、

曰、者者居。

曰く、「者者居」。

その店の名前が「者・者・居」だった。

「居」は「〜の居る店」ぐらいの意味ですが、「者者」とは何か。

余不解。一日在席上談及此条。

余解せず。一日、席上に在りて談この条に及べり。

わしには全く解らなかった。他の仲間たちもわからなかったようで、ある日、飲みながら「これは一体なんなんじゃ」という話になった。

「何をおっしゃられますか」

有一土人在席、答曰、此出之論語。

一土人席に在る有りて、答えて曰く、「これ、これを論語に出だせり」と。

一人、地元民が酒席にいて、「これは「論語」から採ったコトバですよ。ご存知ないはずないでしょう」と教えてくれた。

と言われても、「論語」にこんなコトバあったか?

余問曰、論語何章。

余、問いて曰く、「論語の何の章ぞや」と。

わしは恥を忍んで訊ねた。「「論語」のどこに書いてあったかなあ?」

地元民は言った、

近者悦。遠者来也。

「近き者は悦ばしめん。遠き者は来たらしめん」なり。

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「論語」子路第十三にいう、

葉公問政。

葉公、政を問う。

楚の貴族・葉公というひとが孔先生に「「まつりごと」の本質をお教え願えますか」と問うた。

先生は答えた。

近者説、遠者来。

近き者は説(よろこ)ばしめ、遠き者は来たらしむ。

「近いところにいる人民に満足させてやること、です。そして、遠くにいる(他国の)人民が(それを聞いて、「すばらしい土地らしい」と言って)移住してくるようにすること、です」

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「「論語」の葉公問政章の

「近くのひとは気持ちよく。遠くのひともいらっしゃい」

ですよ。ここの店には地元の者も、みなさんのようなお客人も来ますからね」

「な、なんと!!!!!!」

一時為之絶倒。

一時、これに絶倒を為す。

みんな、これにはいっぺんにひっくり返った。

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「履園叢話」第二十一より。休日だと思ってだらだら書いてたら、またすごい時間になってしまった! 明日そこそこきついテレビ会議あるのに!

ところでこの話、肝冷斎はたいへん気に入っておって、出し惜しみしてたぐらいなんですが、みなさんも気に入ってもらえましたか? ・・・ダメか。

ちなみに、上の「論語」の「葉公問政章」の朱晦庵の注を紹介しておきます。

説音悦。被其沢則悦。聞其風則来。然必近者悦、而後遠者来也。

「説」の音は「悦」。その沢を被ればすなわち悦ぶ。その風を聞けばすなわち来たる。然れば必ず近き者悦びて、而して後、遠き者来たるなり。

「説」は「悦」(えつ)と読んでください(。意味も同じ)。その政治の恵みを受ければ、人民は悦び満足するであろう。その情報を耳にすれば、どんどん集まってくるであろう。ということは、必ず近くにいる者(領民)が満足して、それからあとで、遠くにいる者(他国の民)が集まってくるのだ。(物事には順番があり、まず足元を固めねばならない。)

うーん、いいねー。どんなことにも要らんお節介みたいな理屈をつけて、いかにも宋儒らしくて、すがすがしいぐらいです。わたしは若気の至りのころには憧れたが、今では絶対弟子になりたくないですけど。

・・・あれ? もしかしたら、この「近き者は説(よろこ)ばしめ、遠き者は来たらしめん」は、「釣った魚にゃエサやらぬ」の「反対」になっていませんか?

 

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