令和2年2月2日(日)  目次へ  前回に戻る

まだ立春前というのに、暖かくなってきたとフェイクを信じて冬眠から起き出してくるとは。明日が月曜日だというのもフェイクで、まだ土曜日だったらいいのに・・・。

世の中フェイクが多いらしいんです。

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清の康熙年間、循吏(よい官僚)といわれた陳鵬年が若くして浙江・呉県の県令となったとき、

有金獅巷富室汪姓両子、以曖昧事殺其師。賄通上下、衙門以疑案結局。

金獅巷の富室・汪姓両子、曖昧事を以てその師を殺す有り。賄、上下に通じて、衙門、疑案を以て結局す。

金獅町の富豪・汪家の二人の息子が、事情はよくわからないのだが、その家庭教師を殺してしまった(と思われる)事件があった。どうやら上にも下にもワイロをばらまいたらしく、警察の方では、迷宮入りという結論を出した。

ただ、

惟公不可以利誘、察之。

公のみ利を以て誘うべからずして、これを察す。

陳県令だけはそんな利益を受け付けるような人ではなく、どうやら実情を察知した。

そこで、傍証を集めようとして、変装して町なかで情報を収集してみた(水戸黄門や暴れん坊将軍のやっているやつです。これを「微行」といいます)のだが、誰に聞いてみても、

「そんなはずはありませんや」「滅相もねえこってす」「そうですだ」

衆口如一、咸称冤枉、遂不探究。

衆口一なる如く、みな冤枉を称し、遂に探究せず。

人民たちはみんな同じように、汪氏の無実を訴え、とうとう情報不足で終わってしまった。

後になって考えるに、県の役人たちからの情報で、県令の微行を知った汪氏が、

重賄左近茶坊、酒肆、脚夫、渡船諸人嘱。

重く左近茶坊、酒肆、脚夫、渡船の諸人に嘱せるなり。

役所近くの茶店や居酒屋や、駕籠かき、渡し船の船頭さんなどを、大金を以て買収していたのである。

また、一方で、劉家浜の金持ちの子どもが、乳母が目を話したすきに誘拐され、

殺死城干、剥去金珠衣服。

城干に殺死されるに、金珠衣服を剥ぎ去らる。

死体が城内で見つかったのだが、身に付けていた黄金や真珠の飾りや、衣服はすべてはぎ取られていた、ということがあった。

ただちに取調が始まったが、

緝凶無著、公夜出査訪、遇酔漢、曰此沈某殺也。

緝凶するも著らかなる無く、公、夜出でて査訪するに、酔漢の「これ、沈某の殺すなり」と曰うに遇う。

悪いやつらを集めてきて調べたが犯人は皆目わからない。陳県令は夜中に自分でも出かけて、聞き込みを行ったところ、酔っぱらった男が、「あれは沈のやろうの殺しだぜ」と言っているのを偶然聞きつけた。

そこで、

次日拿沈審問、沈極口称冤。

次日、沈を拿して審問するに、沈口を極めて冤を称す。

次の日、沈を連行してきつく取り調べたが、沈は絶対に口を割らず、無実を訴えた。

そのうち真犯人が見つかり、

其実並無此事、略加刑即釈焉。

その実並びにこの事無く、ほぼ刑を加うるに即ち釈せり。

実際、沈の犯罪ではなく、死刑にする直前で釈放となった。

「・・・そんなこんなでいろいろ勉強させられましたな」

と、陳鵬年は教えてくれた。

「先輩の両江総督の于成龍さまからも聴いたことですが・・・」

于成龍は、

微服潜行、察疑獄、求民隠。

微服潜行して疑獄を察し、民隠を求む。

身分の低い者の格好をして忍び歩き、疑問のある刑事事件を解決したり、人民の表面化しない要望を察知するなどの行動があって、評価されていたひとである。

しかし、そういう人だ、と知られてしまっていた。

そうなると、

奸人造言散布、以傾怨家、或反失入、属吏雖灼知而不敢言也。

奸人造言し散布して、以て怨家を傾け、あるいは反って失入せしめ、属吏灼知するといえども敢て言わず。

悪知恵の働くやつらはうわさを作ってばらまき、ライバルの一族を陥れたり、あるいは逆に悪いやつを評判を挙げたり、といった工作を仕掛けてきた。部下の吏員たちも(彼らと気脈を通じて)明らかに知っていることでも、教えてくれないのである。

このため、于総督の政治に人民たちが反発することになってしまった。

有布衣程姓者、進見直言、且指目撃一二事為徴。

布衣程姓なる者有りて、進見して直言し、かつ目撃一二事を指して徴と為す。

人民の中に程某というひとがいて、あるとき総督に面会を求め、そのことを直訴した。(総督がすぐには信用しないので)自分で目撃したいくつかの事案を具体的にあげて説明した。

「なんと・・・」

公悚然曰、微子言、吾安知人心刁詐若此耶。

公、悚然(しょうぜん)として曰く、「子の言微(な)かりせば、吾いずくんぞ人心の刁詐(ちょうさ)のかくのごときなるを知らんや」と。

総督はおそろしそうに身震いして言った。

「おまえさんが言ってくれなければ、わしは人民の心がこれほどに悪賢く、詐りに満ちているということに気づかなかったわい」

・・・陳鵬年が言うに、

「世の中、どこにでも悪賢いやつがいて、まことにおそろしいことです。

「論語」衛霊公篇・第十五にありますよね、

子曰、衆悪之、必察焉。衆好之、必察焉。

子曰く、衆これを悪まば、必ず察せよ。衆これを好まば、必ず察せよ、と。

先生がおっしゃった。

「みんなが嫌っているやつがいたら、必ずよく調べてみることだ。みんなが好んでいるやつがいたら、やはり必ずよく調べてみることだな」

と。

善夫。

善いかな。

いいコトバだと思いますよ」

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「履園叢話」旧聞第一より。水戸黄門や暴れん坊将軍もフェイクに踊らされて、叩っ斬ったり懲らしめてやったりしていたこともあるのでしょう。戒めねばならない、戒めねばならない。ちなみに今日は自分の足で踏みしめて中山道沿いに出奔してました。

 

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