龍の絵できました。ニンゲンの知恵の限りを尽くした天才的な絵である。
年末が近づき、だんだんと来年への不安が増すばかりである。年が明けたころには絶望的な世界になっているのではなかろうか。
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こんな世界ですが、
天之風月、 天の風月、
地之花柳、 地の花柳、
人之歌舞。 人の歌舞。
天にはそよ風が吹き、月景さやかな夜があるではないか。
地には色とりどりの花が咲き、柔らかな柳の芽吹く春があるではないか。
人には歌と舞、さまざまな芸能があるではないか。
逆にいえば、
無此不成三才。
これ無ければ三才を成さず。
これらが無ければ、「天・地・人の三つの財(才能)」は成立しない。
「周易」繫辞下伝に曰く、
易之為書、広大悉備。有天道焉、有人道焉、有地道焉。兼三才而両之、故六。
「易」の書たるや、広大にして悉く備わる。天道有り、人道有り、地道有り。三才を兼ねてこれを両にす、故に六なり。
「周易」の書は、博く大きく、あらゆることがその中に入っているのだ。天のやり方があり、人のやり方があり、地のやり方がある。その三つの「才」をそれぞれ二倍する、それで「易」の「卦」は六つの「爻」から成るのである。
とあります。「三才」は天・地・人の持つ資源とかその発露された能力のことです。
その「三才」とは、実は風月・花柳・歌舞なんだそうです。
さて、明のころ、権力者・厳東楼は
眷一幼伶、名金鳳、海塩人、色芸倶全。
一幼伶を眷す、名は金鳳、海塩の人、色芸ともに全し。
お気に入りの少年俳優があった。名は金鳳で海塩の出身、ビジュアルも芸も完全であった。
一日無鳳、則寝食不甘。
一日鳳無ければ、寝食も甘しとせず。
金鳳がそばにいない日は、眠りも食事も味気なくなるほどであった。
月日は流れ、厳東楼が失脚した後、彼が悪役として登場する芝居が作られたが、
金復塗粉扮東楼、乃得神似。
金また塗粉して東楼に扮し、神似するを得たり。
金鳳は今度は化粧粉を塗って厳東楼の役をしたが、(容貌も所作も話し方も)神技かと思うほど似ていたという。
上のコトバは、この名優・金鳳を称賛したものだということだ。
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「茶余客話」巻十八より。不安を打ち消せるような風月・花柳・歌舞はどこにあるのであろうか。