令和元年12月23日(月)  目次へ  前回に戻る

龍の絵できました。ニンゲンの知恵の限りを尽くした天才的な絵である。

年末が近づき、だんだんと来年への不安が増すばかりである。年が明けたころには絶望的な世界になっているのではなかろうか。

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こんな世界ですが、

天之風月、 天の風月、

地之花柳、 地の花柳、

人之歌舞。 人の歌舞。

 天にはそよ風が吹き、月景さやかな夜があるではないか。

 地には色とりどりの花が咲き、柔らかな柳の芽吹く春があるではないか。

 人には歌と舞、さまざまな芸能があるではないか。

逆にいえば、

無此不成三才。 

これ無ければ三才を成さず。

これらが無ければ、「天・地・人の三つの財(才能)」は成立しない。

「周易」繫辞下伝に曰く、

易之為書、広大悉備。有天道焉、有人道焉、有地道焉。兼三才而両之、故六。

「易」の書たるや、広大にして悉く備わる。天道有り、人道有り、地道有り。三才を兼ねてこれを両にす、故に六なり。

「周易」の書は、博く大きく、あらゆることがその中に入っているのだ。天のやり方があり、人のやり方があり、地のやり方がある。その三つの「才」をそれぞれ二倍する、それで「易」の「卦」は六つの「爻」から成るのである。

とあります。「三才」は天・地・人の持つ資源とかその発露された能力のことです。

その「三才」とは、実は風月・花柳・歌舞なんだそうです。

さて、明のころ、権力者・厳東楼は

眷一幼伶、名金鳳、海塩人、色芸倶全。

一幼伶を眷す、名は金鳳、海塩の人、色芸ともに全し。

お気に入りの少年俳優があった。名は金鳳で海塩の出身、ビジュアルも芸も完全であった。

一日無鳳、則寝食不甘。

一日鳳無ければ、寝食も甘しとせず。

金鳳がそばにいない日は、眠りも食事も味気なくなるほどであった。

月日は流れ、厳東楼が失脚した後、彼が悪役として登場する芝居が作られたが、

金復塗粉扮東楼、乃得神似。

金また塗粉して東楼に扮し、神似するを得たり。

金鳳は今度は化粧粉を塗って厳東楼の役をしたが、(容貌も所作も話し方も)神技かと思うほど似ていたという。

上のコトバは、この名優・金鳳を称賛したものだということだ。

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「茶余客話」巻十八より。不安を打ち消せるような風月・花柳・歌舞はどこにあるのであろうか。

 

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