「うまそうな食い物は追いかけるでコケー!」「ぴよ」「ぴよ」
いろいろとああもうイヤだイヤだ。
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ストレスでたくさん食ってしまうんです。
魯有倹嗇者。
魯に倹嗇なる者有り。
「倹」は「倹約」、「嗇」(しょく)はもともと「倉に稲をしまう」形を示す字です(「穡」の原字)が、「しまいこんで物惜しみする」の意が生じました。「吝嗇」です。
魯の国に、倹約家でケチで有名なひとがおったんじゃ。
このひとが、
瓦鬲煮食、食之、自謂其美。
瓦鬲(がれき)にて食(し)を煮、これを食らい、自らそれ美なりと謂(おも)えり。
土製のなべで食べ物を単純に煮て、食ってみたところ、自分では「これは美味い」と感心した。
「鬲」(れき)は三本足のついたなべです。「食」は「食べ物」の意味のときは「シ」、「食べる」の意味のときは「ショク」の音になります。
このひとは自分の作った食い物がたいへん美味いと思ったので、
盛之土型之器、以進孔子。
これを土型の器に盛りて、以て孔子に進む。
その一部を、型をつけた土製の食器によそって、孔子の家まで持ってきて寄付してくれた。
孔子を尊敬していたのでしょう。
「どうぞお食べくだされ」
「わーい」
孔子受之而悦、如受太牢之饋。
孔子これを受けて悦び、太牢の饋を受くるが如し。
孔子はこの食べ物をもらってたいへん喜びました。まるで太牢のおくりものをいただいたような喜びようであった。
「わーい、わーい、うれしいのう」
「太牢」は今でも「タール―麺」に名前が遺りますが、「最高の肉料理」の意で、(タール―麺は牛肉ですが)ウシ・ブタ・ヒツジの三種類の肉のセットのことです。
その様子を見て、孔子の弟子の子路が言いました。
瓦鬲陋器也、煮食薄膳也。夫子何喜之如此乎。
瓦鬲は陋器なり、煮食(しゃし)は薄膳なり。夫子何ぞこれを喜ぶこと、かくの如きか。
「土器のなべは粗末な食器ですし、煮ただけの食べ物は味付けもない素っ気ない料理です。先生はどうしてそれをこんなにお喜びになるのですか」
先生はおっしゃった。
夫好諫者思其君、食美者念其親。吾非以鐉具之為厚、以其食厚而我思焉。
それ、諫めを好む者はその君を思い、美を食らう者はその親を念う。吾は鐉具(せんぐ)の厚きがために以てするにあらず、その食(し)の厚きを以て我思うなり。
「これこれ。
―――諫言をすることを自分の仕事だと考えている(忠義の)ひとは、何をみてもその主君のことを(次にどんな譬喩で諫めてやろうかと)考えているものだ。うまいものを食べたひとは、その親のことを(親に食べさせてやりたいと)強く思うものだ。
というコトワザもあるぞ。食器が豪勢だからといって何にもうれしくはないが、食べ物にキモチが籠っているなら、そのことがうれしいではないか」
と。
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「孔子家語」致思第八より。孔子さまでも食い物をもらったら食うのである。わしらがカロリーオーバーだからといって、ガマンできるはずがないではないか。
それにしても、一族のうちで一番温厚あるいは鈍感とされるこの鈍肝斎でも、もう耐えられなくなってきました。明日のことはもちろん、来年のことも不安でしようがないのです。ああ、怖ろしいなあ、イヤだ、イヤだ。もう出奔して、すべての責任から逃れるしかない!