令和元年12月6日(金)  目次へ  前回に戻る

「やんばるクイナのような飛ぶことのできないものは鳥ではないかも知れないでコケ」「ピヨ」「ピヨ」

関西風のお好み焼き食ってきたでー。ウマかった。ウマかったはウマにあらず。

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えーとですなあ、

人主之聴言也、不以功用為的、則説者多棘刺白馬之説。

人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、すなわち説者は棘刺・白馬の説多し。

君主が人の言論を聴く場合、それが結果としてどんなふうに役立つかを基準にして評価しないと、論者は「棘刺(きょくし)の説」や「白馬の説」ばかり主張してくるであろう。

といわれます。

このうち、「棘刺の説」については、こちらをご参照ください。

今日は「白馬の説」について解説いたします。

戦国の時代、

兒説宋人善弁者也。

兒説(げいえつ)は宋ひとの善く弁ずる者なり。

兒説というひとは、戦国・宋の国出身の弁の立つやつである。

この人は、なんと、

持白馬非馬也、服斉稷下之弁者。

「白馬は馬に非ず」を持するや、斉の稷下の弁者を服す。

名高い「白いウマはウマではない」という詭弁といいますか論理を使って、斉の都・稷の城門前に集まっていた当時最高の知識人集団の弁論家たちを降服せしめた人物だったのである。

「白いウマはウマではない」という「白馬の説」は、一応、「白いウマ」はウマという実体ではなく「白い」という色に意味のあるコトバであるから、ウマという実体を指してはいないのだ、という詭弁だ、と考証されていますが、ホントのところはわかりません。とにかく、聞いただけですぐに「それはおかしい」と思うような命題ですが、それを「正しい」と弁論することができた、というのです。

すごいひとではありませんか。

しかしながら、彼が斉の国から宋に戻ろうとして、

乗白馬而過関。

白馬に乗じて関を過ぐ。

白いウマに乗って、国境の関所を通ろうとした。

すると、もちろん関守りの役人に止められて、身分を改められ、それが終わると、通行税を払うように命じられた。

「ウマは商品になりますので、ウマ一頭分の通行税が必要になります」

「これは白馬であるからウマではなくして・・・」

「ウマですから一頭分の通行税が必要です」

「むむむ」

則顧白馬之賦。

すなわち白馬の賦を顧(こ)せらる。

こうして、白馬の分の通行税を払わせられた。

ああ。

藉之虚辞則能勝一国、考実按形不能謾於一人。

これを虚辞に藉(か)るればすなわちよく一国に勝るも、実を考え形を按ずれば、一人をも謾ずるあたわざるなり。

実質の伴わない仮定の議論をすれば、一国の弁論家たちに勝つことができても、実体を目の前にして考え案ずるなら、たった一人のひとも誤魔化すことはできないのだ。

というわけで、君主はその人の言っていることが結果につながるかどうかをよくよく考えて、評価せねばなりませんよ。

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「韓非子」巻十一「外儲説左上」より。5月13日にも申し上げているようですが、ぜひ「人主」(君主)の語を「主権者」(であり、テレビや新聞を読むわたし)と読み替えて、読んでみてくださいね。

 

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