令和元年5月13日(月)  目次へ  前回に戻る

「これは上方より取り寄せたる「タコヤキ」なる食べ物じゃ。シーフードを使っておるので低カロリーでどれだけ食べても太らないのでぶー」というようなコトバにころりと騙されるひとはゲンダイにもいる。

先週から失敗続きで、いい加減自己嫌悪に陥ってきているのであるが、今日は物をこぼす系の失敗が相次ぎ、相当の自己嫌悪である。ああ他のひとは君主を騙したりうまくやっているのに、どうしてわしには何もできないのか。

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君主は言論の士のコトバの真偽を確かめないといけません。それにつきましては、このようなお話がございます。

・・・戦国の時代、燕の国に、衛のひとがやってきまして、

能以棘刺之端爲母猴。

よく棘刺の端を以て母猴を為(つく)る。

「わたくしは、トゲの先に母ザル(が子ザルをあやしている姿)を彫り出すことができます」

と言った。

燕王さまは細工ものをお好みになられたので、大いに喜び、

養之以五乗之奉、曰、吾試観客為棘刺之母猴。

これを養うに五乗の奉を以てし、曰く、吾試みに客の棘刺の母猴を為るを観ん、と。

このひとに、四頭立ての馬車五台を保有することのできる給与を支払い、

「ぜひ先生がトゲの先に母ザルを彫り出す作業を見せていただきたいものだ」

と言った。

「よろしいですぞ」

客人はそう言った上で、

「ただ・・・」

と付け加えた。

「この作業はたいへん集中力を要する作業ですので、精霊たちを鎮めて行う必要があります。ぜひ王さまにおかれてもご協力いただかねばなりません。

人主欲観之、必半歳不入宮、不飲酒食肉、雨霽日出、視之晏陰之間。而棘刺之母猴乃可見。

人主これを観んと欲せば、必ず半歳宮に入らず、飲酒食肉せず、雨霽れ日出でて、これを晏陰の間に視る。而して棘刺の母猴すなわち見るべきなり。

王さまがそれをご覧になろうと思われるのでしたら、半年の間、お后たちのもとに通わず、お酒も肉の飲んだり食べたりせずにいて、雨が上がって太陽が出てきた瞬間に、日差しと陰の間に見ていただかねばなりません。そうしたら、トゲの先の母ザルを目にすることができます」

「うーん」

お后のところに行かないのはまだしもガマンできるのですが、

人主無十日不燕之斎。

人主に十日不燕の齋無し。

人君には、十日間も宴会をせずにいる物忌みはありえない。

というコトバがありますとおり、王さまのスケジュールには、十日に一回以上は外国の使いとか公族とか大臣とか各地の有力者との宴会があります。これは王さまにとっては公務なので、サボることができない。

「なかなか半年も禁酒禁肉はできんなあ・・・」

燕王因養衛人、不能観其母猴。

燕王因りて衛人を養うも、その母猴を観ることあたわず。

このため、燕王は、衛のひとに給与は支払っていたのだが、その母ザルを見ることができないままでいた。

そうこうするうちに、燕の国に、今度は鄭の国から

有台下之冶者、謂燕王曰、臣為削者也。

台下の冶(や)なる者有りて、燕王に謂いて曰く、臣は削(さく)を為(つく)る者なり、と。

「王宮の下に工房を持つ冶金術者」なる者がやってきて、燕王に言いますには、「わたくしは「削り刀」を造る専門家でございます」

と。

諸微物必以削削之。而所削必大於削。

諸(もろも)ろの微物は必ず削を以てこれを削る。而して、削るところは必ず削よりも大なり。

「どんな小さな物も、必ず削り刀を使って削り出すものでございます。そして、当然ながら、削り刀より大きいものしかどうしたって削ることはできません。

今棘刺之端、不容削鋒。王試観客之削、能与不能可知也。

今、棘刺の端は、削峰を容れず。王、試みに客の削を観よ、能くすると能くせざると、知るべきなり。

考えてみますに、トゲの先には、削り刀の刃を立てることができません。王さま、どうぞ試みに衛の客人の使っておられる「削り刀」を見せてもらってください。本当にトゲの先に彫り物を作ることができるのかどうか、それをご覧になれば(実際の作業を見なくても)はっきりいたします」

「なるほど」

王謂衛人曰、客為棘刺之端以削。吾欲観見之。

王、衛人に謂いて曰く、客、棘刺の端を為るに削を以てせん。吾、これを観て見んことを欲す、と。

王さまは早速、衛のひとを呼び出して、言った。

「先生はトゲの先に彫り物をお造りになるとき、削り刀を使いますでしょう? わたしはその刀を一度見てみたいのですがのう」

すると、

客曰、臣請之舎取之。

客曰く、臣舎に之(ゆ)きてこれを取らんことを請う。

客人は澄まして言った。

「わかりました。それではしばらくお待ちください。宿舎に行って、取ってまいります」

「よろしい」

客人は慌てもせずに王の前を退いたが、

因逃。

因りて逃ぐ。

そのまま逃げ去ってしまったのであった。

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「韓非子」巻十一「外儲説左上」より。

このお話は、君主に対して、臣下の宣伝を見破る必要がある、ということを説明するための「材料」として、韓非が記録していたものなので、その意味で読むひとは「人主」を「主権者たる国民」と読み替えていただくといいと思います。しかしわたしどもやみなさんのような口先だけの「遊説の徒」にとっては、この「衛人」の、だましておいて「ばれた!」と思った瞬間に逃げ出すいさぎよさ、こそ、勉強になりますなあ。

 

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