団子を串団子にぶつけると団子同士が引っ付く場合と団子がバラバラになってしまう場合があるが、質量は保存されることを実験する賢者モグラテスとブタトンだ。このような高い文明も、休日ばかりだからできたのであろう。
もう明日は日曜日か・・・。
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早く週末にならないかなあ・・・。
さて、山西・太原はかつての晋陽のまち、
城中有傅先生売薬処、立牌衛生堂薬餌五字、乃先生筆也。
城中に傅先生薬を売るの処有り、立牌の「衛生堂薬餌」五字、すなわち先生の筆なり。
清初の名医・傅青主先生が薬を売っていた店があり、看板の「衛生堂薬餌」という五文字は、先生の自筆であるという。
先生は、
善医而不耐俗、病家多不能致。
医を善くすれども俗に耐えず、病家多く致すあたわず。
医療の腕前はすばらしかったが、俗世間との付き合いができない人なので、病人がいる家が先生に往診に来てもらうことはなかなかできなかったのだ。
貧しい者が先生の薬舗を訪ねれば必要な薬がもらえるのですが、豊かな家に迎えようとすると
「自分より適切な医者がおりましょう」
と言って、来てくれない。
然素喜看花。
然るにもと花を看るを喜ぶ。
ところで先生はもとから花を観賞するのが大好きであった。
そこで、先生に診てもらうには、
置病者于花木寺観中、令善先生者誘致之、一聞病人呻吟。
病者を花木寺観中に置き、先生に善き者をしてこれを誘致せしめ、ひとたび病人の呻吟を聞かしむ。
病人を花や木のキレイな仏寺や道観に病臥させ、一方で親しい者に先生をそのお寺に花見に連れだしてもらう。そして、花園を案内している間に、病人の苦しみ呻く声を聞かせるのだ。
すると先生は心配そうに、
「どうされたのかな」
と訊ねる。
そこで、
僧即言、羇旅貧無力延医耳。
僧即ち言う、「羇旅にして貧、医を延(まね)くに力無きのみ」と。
すかさず案内の僧侶が、「旅びとでしてな。カネも無く、お医者に診てもらうことができないだけです。お気に召されるな」と言う。
そうすると先生は、
「それは御気の毒なことじゃ。診療の真似事でもしてみましょう」
と言ってくれます。
先生即為治剤、無不応手而癒也。
先生即ち治剤を為すに、手に応じて癒えざる無し。
先生がすぐに薬を調合して服させると、それに応じてみなすぐに治るのであった。
ああ、
其性癖如此。
その性癖かくの如し。
先生の少しひね曲がった御性格は、このようなものであったのだ。
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「茶余客話」巻十五より。わしも俗世間に耐えられず仕事に取り組めないのである。親しい者が誘ってくれるわけでもないので、ツラいところだ。休日ばかりなら問題ないのだが。