あるゲーム用にデザインしたキャラクターだが、こういうふうに強い義務感を持つものは衰えも速いのであろう、と思うがどうでしょうか。
もう明日は月曜日。イヤだなあ。
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早く週末にならないかなあ・・・。
さて、明末清初の考証学者として名高い亭林・顧炎武さまが、こんなことを言っていたそうなんです。
君子甚愛気而謹游于房。
君子甚だ気を愛し、房に游ぶを謹む。
立派な君子というのは、体の気を大切にするから、(それを体外に洩らさないために)エッチをするのに慎重になるものだ。
ほほう。
故新壮者十日而一游于房、中年倍新壮、始衰倍中年、中衰倍始衰、大衰者以月当新壮者之日。
故に新壮者は十日にして一たび房に游し、中年は新壮に倍し、始衰は中年に倍し、中衰は始衰に倍し、大衰者は月を以て新壮者の日に当つ。
衰年にはいろいろ説があるのですが、ここでは「礼記」内則篇の「五十始めて衰う」の語から、50歳ということにします。
そこで、壮年になったばかりの(三十代の)男性は、十日に一回エッチするだけにし、四十歳で中年になったら三十代の倍にし(もちろん三十代の倍しよう、という意味ではなく、倍の日数を置いてエッチしよう、という意味です)、衰え始める五十代ではさらに倍、六十代ではさらに倍、すごく衰えた七十代では三十代の「日」を「月」に替えて当てはめるとよい。
つまり、
三十代=十日に一回
四十代=二十日に一回
五十代=四十日に一回
六十代=八十日に一回
七十代=十か月(300日)に一回
がお勧めです。
これは漢の董仲舒の説だという。
「えー、そんな年齢までがんばらないといけないのか!」と驚くひとの方が多いと思いますが、意識の高いゲンダイ人はともかく、
亭林無子。
亭林子無し。
顧亭林先生には老齢になるまで子どもがいなかった。
あるとき、昨日登場しました名医・傅青主に診断を受けたとき、
傅青主診脈、勧之納一妾。
傅青主脈を診て、これに一妾を納(い)れんことを勧む。
傅青主は先生の脈をとって、診断していうに「先生は(どうも激しい気性がまだ収まっておりませぬな。)側妾でもおもらいになって、エッチをされるといいと思いますぞ」と。
「そ、そうか」
というわけで妾をもらったのですが、
不二年疾作、遂出之。
二年ならずして疾作(おこ)り、遂にこれを出だせり。
二年も経たないうちに病気になり、結局、妾を離縁してしまった。
亭林先生はそのまま亡くなりました。時に康熙二十一年(1682)、先生は明の萬暦四十一年(1613)の生まれですから、数え年で七十歳です。「大衰」の年ですね。
傅青主の診断に問題があったのではないかという人もいたのですが、
亭林嘗称青主君子人也。
亭林嘗(つね)に青主を君子人なりと称せり。
亭林先生はいつも、「傅青主は立派な君子じゃ」と誉めていた。
そうである。
「まあそれはそうとしてだ」
わしの友人・張稷若が言うには、
豈有勧六十老人娶妾而可為君子者乎。
あに六十老人に妾を娶るを勧めて、君子とさるべき者有らんや。
「もう六十を過ぎた老人に愛妾を持てと勧めるようなひとが、どうして立派な君子だといえようか」
「ぐふふふ」
「いひひひ」
しかし、傅青主はもしかしたら亭林先生に迎合しただけなのかも知れません。体より心を憂いを除くタイプだったのかも。
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「茶余客話」巻十五より。もしかしたらみなさん興味あるかも知れんと思ってこんなネタを紹介してみたが、その間にも刻一刻と月曜日が近づいてきているのである。もうダメか。