さすらいのドウブツ絵師・肝冷斎の描いたイヌの姿だ。彼は行く先々でこのような稚拙なドウブツ絵を遺していった。
退職しているので、今日も放浪の旅である。
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清のひと申涵光がその書斎に次のような堂聯を掲げていた。
学古之志未衰、毎日必擁書早起。
学古の志はいまだ衰えず、日ごとに必ず書を擁して早起す。
古い時代のことを学ぼうという思いはまだ衰えていないので、毎日毎日早起きして書物を読んでいる。
幹世之心已絶、無夕不飲酒高歌。
幹世の心すでに絶す、夕べとして酒を飲み高歌せざる無し。
今の世の中に関わろうというキモチはもうさらさらないので、お酒を飲んででかい声で歌を歌わない宵はない。
うーん。
観此則飲酒高歌正非易易。
これを観れば、飲酒高歌も正に易々たるにあらざるなり。
鳬盟先生(申涵光の号)のこの聯を読むに、どうやらお酒を飲んででかい声で歌を歌うのは、なかなかたやすいことではないようだ。
少なくとも、いにしえを学びながら現世に関わろうというキモチを絶たないと、できないことなのである。
ニワトリである。銅鐸に刻まれている絵画であると称しても遜色のない原始的な絵画だ。
・・・今日のわしは放浪して、どうやらここは建康(南京)郊外の采石磯にある太白楼という酒場に来たようだ。
酒を飲み高歌しようとしたが、頭の上を見回すと、
過客題詩満壁、令人見之欲嘔。
過客詩を題して壁に満ち、人をしてこれを見ば嘔を欲せしむ。
ここに来たお客たちが詩を書きつけて壁いっぱいになっており、見ているとゲップが出て来そうなぐらいである。
こんなところではキモチよく酔えないぞ。
ところが一番最後のところに、「一秀才」(「とある読書人」)と自署して、
吾輩到此惟飲酒、 吾が輩ここに到るはただ飲酒するのみ、
先生在上莫題詩。 先生上に在りて詩を題するなかれ。
わしらがここに来るのは酒を飲みに来ているだけなんで、
先生がた、頭の上の壁に詩を書きつけるのはおやめください。
と一聯があって、そこから先にはさすがに誰も書きつけてはいなかった。
「これはいいぞ」
わしはほろ酔いして、その聯を口ずさんでみたのであった。
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「うそつけ!」
すみません、これは清・阮葵生「茶余客話」巻十二に書いてあったことでした。吾が輩は日本国内を彷徨っているだけで、南京には行ってません。