歩の無い将棋は負け将棋・・・王が無いほでではありませんが。東北出張から帰ってまいりました。
わーい、今日も休みでよかったなあ。と思ったら、そろそろ敬老される側なのに、明日はもう平日だというのだ。老いらくの夢でも見て生きていきたいものじゃのう。
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清の時代、夢占いのことを「円夢術」といったそうなんです。
蘇州のひとが二人、秋にある科挙試験の前に試験の神さま・況太守の廟に籠って夢占いを試みたところ、二人は同じを夢を見た。
夢神各予象棋卒子一枚。
神の、おのおの象棋の卒子一枚を予(あた)うるを夢みたり。
神さまが現れて、それぞれにチャイナ象棋の「卒」のコマを一枚づつ下さる夢であった。
チャイナ象棋の「卒」のコマは、我が国の将棋でいえば「歩」に当たるコマです。
醒而不解所謂。
醒めて謂うところを解かず。
目ざめた後、二人には夢の示す意味がわからなかった。
一人曰、隔河有円夢者、君待此、吾往問焉。
一人曰く、河を隔てて円夢者有り。君ここに待て、吾往きて問わん。
一人が言った。
「川向うに夢占い師がいる。君はここで待っててくれ、おれが行って夢解きをしてもらってくる」
「わかった」
ということで、川向こうの夢解き師のところに行きましたところ、
占之者曰、卒之為言止也。非大吉兆。然象棋之卒、以渡河為貴。
これを占う者曰く、「卒」の言たるや「止まる」なり。大吉兆にはあらず。しかるに象棋の「卒」は河を渡るを以て貴ばる。
夢占い師は言った。
「「卒」というのは、「そこで終わる」という意味じゃからなあ。大吉のしるしとはいかん。しかし、承知のようにチャイナ象棋の「卒」のコマは、敵との間にある「河」を渡ると(「歩」が相手陣地に入ったときと同じで)出世するからのう・・・」
「ということは?」
君之卒已渡河。今秋售後、将来可得一県令。
君の卒すでに河を渡る、今秋售(か)てる後、将来は一県令を得べし。
「おまえさんの「卒」のコマは、こうやって川を渡って来ているわけじゃから、今年の秋の試験に合格し、いずれはどこかの県令になれるであろう」
「県令ですか・・・。せっかく試験に受かるなら中央で出世したいものだが・・・」
「ふふん」
占い師が言った、
所以不大顕達者、以卒雖渡河、亦止准行一歩也。彼不渡河之卒、一歩不可行、其殆以諸生老乎。
大いに顕達せざる所以のものは、卒を以て河を渡るといえども、また准行すること一歩に止まる。彼の河を渡らざるの卒は、一歩も行くべからず、それほとんど諸生を以て老いんか。
「あまり出世しないと見込まれる理由は、川を渡って出世した「卒」とはいえ、結局一マスづつしか動けないから、じゃ。まあそれぐらいはガマンすることじゃな。川向うに置いてきたお友だちの方は、「河を渡っていない卒」のコマを持ったままじゃから、(卒は前へしか進めないのに前に進んでいないのだから)一マスも進まないんじゃ、おそらく学生のままで人生を終えることになるじゃろうなあ」
果たしてそのとおりになった、ということである。
ずっと昔、唐の沈嶓(しん・は)というひとが県令になりたいと思っていたそうなんですが、
夢渡江船覆、水分為二、西則清、東則濁、遂沿東而過。
夢に、江を渡らんとして船覆えるも、水分かれて二と為り、西はすなわち清く、東はすなわち濁れるに、遂に東に沿いて過ぎれり。
川を渡ろうとして船が転覆するという夢を見た。その夢では、水が二つに分かれ、西側は清い水で、東側は濁った水となり、彼は東側の水に沿って歩いて、川を渡り切ったのであった。
この夢を友人に話したところ、友人は「おめでとう」と祝賀して、言った。
君当授浙江分水県矣。
君まさに浙江分水県を授からん。
「君は、おそらく浙江の分水県の県令に任命されるんだよ」
十日ほどすると、本当に分水県令の発令を受けた。
そこで友人に謝礼に行くと、
友勉之曰、為政宜清。昨夜入濁、非佳。
友、これに勉めて曰く、政を為すは清かるべし。昨夜濁れるに入るは佳なるにあらず。
友人は真剣な顔をして忠告した。
「政治を行うには清らかでないとマズい。先だっての夢の中で、濁った方に行った、というのはよくないぞ」
「はいはいそうですね、うんうん」
後嶓果以濫致命。
後、嶓は果たして濫を以て命を致せり。
後日、沈嶓は結局、汚職があって死刑になってしまった。
・・・という。これは唐・于逖(うてき)の「聞奇録」にある話だが、
此等円夢、極有意趣。
この等の円夢は、極めて意趣有り。
こちらの夢解きは、たいへん意義深いものといえるだろう。
友人の夢解きのとおりに、清廉であるべきだったのだ。
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「両般秋雨盦随筆」巻七より。清らかでなければいけませんぞ。