平成31年4月5日(金)  目次へ  前回に戻る

未来を予知する能力を持つというビッグネーム天狗先生の前で、緊張するあずきあらいくん。

今週は来週よりはいい週だった・・・と来週は思うことになるのであろうか。

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春秋の時代、晋の公子・夷吾は、驪姫の讒を受けて秦に亡命しておりましたが、おやじの献公が亡くなった後、秦の援助を得て帰国し、公位に就いた。これが晋の恵公さまで、紀元前650年のことでございます。

このとき、恵公は、援助してくれた秦と、国内の権力者であった二人の大夫、里克と丕鄭にそれぞれ謝礼として領地を与える、と約束していたのです。・・・が、

入而背外内之賂。

入りて外内の賂に背く。

帰国した後、国外の秦、国内の二人の大夫に対する謝礼の約束を反故にした。

すると、輿を担ぐ輿人(よじん)たちが、歌をうたった。(輿人たちは奴隷階級で知恵も思想も教養も無いオロカモノです。それゆえ、その間から起こるコトバはニンゲンの思考ではなく神の啓示と考えられました。これが「輿論」(よろん)です。「世論」とは違うんです。)

その歌に曰く、

佞之見佞、果喪其田。 佞の佞せらる、果たしてその田を喪いぬ。

詐之見詐、果喪其賂。 詐の詐わらる、果たしてその賂を喪いぬ。

得国而狃、終逢其咎。 国に帰りて狃(な)るれば、ついにその咎に逢わん。

喪田不懲、禍乱其興。 田を喪うも懲りず、禍乱それ興らん。

 うまくやろうとするやつはうまくやられて、結局領地を得られない。

 うそつきどもはうそをつかれて、結局謝礼を受け取れない。

 国を得たやつもそれを当たり前だと思い込み、最後は天罰を受けるだろう。

 領地も得られなかったのに懲りない者には、災難が降りかかるだろう。

と。

既里丕死禍、公隕於韓。

既に里・丕は禍に死し、公は韓に隕(お)ちたり。

やがて、里克と丕鄭の二人は、(恵公を追放しようという)陰謀を起こしてコロされてしまい、恵公の方は韓原の戦いで(秦に敗れ)捕虜になった。

予言は成就したのである。

このことについての晋の賢大夫・郭偃のコトバ―――。

善哉。夫衆口禍福之門也。是以君子省衆而動、監戒而謀、謀度而行。

善いかな。それ、衆口は禍福の門なり。ここを以て君子は衆を省みて動き、監戒して謀り、度(たく)を謀りて行うなり。

すばらしいなあ。ああ、民衆たちがコトバを出す口は、わざわいとしあわせの出てくる門なのだ。そこで、立派なひとは民衆たちをよく見て動く。民衆たちのコトバにかんがみて戒めにして考える。対応を考えて行動する。

故無不済。

故に済(な)さざる無きなり。

だから、うまくいかないことがないのだ。

内謀外度、考省不倦、日考而習、戒備畢矣。

内に謀り外に度し、考省して倦まず、日に考えて習えば、戒備畢(おわ)れり。

心中で考え、外部の対応を思量し、思い考えて厭きることなく、毎日思量してそのことを積み重ねれば、警戒し備えることは完成するであろう。

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「国語」巻九・晋語三より。「輿論」は確実に実現するから恐ろしいですね。わしら一族は、輿人たち同様知恵も思想も教養も何も無いのだから、わしらが輿人の代わりに予言してみます。

「来週はいい週になる、いい週になる、絶対になるぞー!」

ならなかったら、知恵か思想か教養か何かがあるんでしょう。

 

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