平成31年2月11日(月)  目次へ  前回に戻る

「こいつなんでピヨ」「まだ寒いのに出てくるとはオロカ者でピヨ」「ほっとけ、ほっとけでピヨ」と立春後も見捨てられるモグであった。

今日は関東地方寒かったですね。

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今日も肝冷斎が洞穴の中に遺したメモから引用してみます。

・・・〇月×日。腹減った。何か食いたいが、カマドには何も無い。しようがないので、カマドについての人生訓といいますか、東洋的共同主観を読んで、空腹をガマンするんじゃ。

「太玄経」によれば、三×三×三×三=八十一の「首」(「易」における「卦」に該当する概念)から、二・三・二・二と選択された場合、「竈」(ソウ。かまど)の首を得る。

竈。陰雖沃而灑之、陽猶熱而龢之。

竈。陰これに沃(そそ)ぎて灑すといえども、陽なおこれを熱して龢(わ)す。

「龢」(わ)は「和」の古字です。

カマドについて。陰(すなわち水)がこれに注ぎこまれて冷やすのだが、陽(すなわち火)がこれを熱してちょうどよくする。

というのが、「竈」の首を得た者への基本的な教訓です。なるほど。

この「竈」の中にも、九段階の「時の流れ」があり、占いによってそのどの段階に自分がいるかがわかることになっています。それぞれの段階ごとの説明は「賛」という箇条書きに書いてあります。

以下、各「賛」を読む。

初一。竈無実、乞于隣。(竈に実無く、隣に乞う。)

@  カマドに何も無いので、お隣に恵んでもらった(ものを自分のもののように振る舞う)。

これは他人の善を自分の名声に使うという「虚名」を利用しようとする状態です。君子としては許されないことです。「こんなことをするやつは中身が空っぽの「小人」じゃ」と北宋の司馬光が指摘しています。

次二。黄鼎介、其中裔、不飲不食、孚無害。(黄鼎は介(かい)たり、その中は裔(すえ)にして飲まず食わざれども、孚(まこと)において害無し。)

「裔」(えい)は「着物の裾」のこと。遠い、果て、子孫、空っぽ、といった意味になります。

A  黄金色の鼎が一つ、立っている。その中は空っぽなので飲んだり食べたりはできないが、誠実さという点でマイナスはない。

次三。竈無薪、黄金瀕。(竈に薪無し、黄金瀕(せま)れり。)

B  カマドに薪木が無い(ので、カマドを使うことができない)。(そのように用いられることは無いが、)間もなくいいことがあるだろう。

次四。鬲実之食、得其労力。(鬲、これに食を実たす、その労力を得たり。)

司馬光の注では「鬲」(れき)は鼎の脚の広いもの、とのこと。

C  なべに食べ物が入っている。(賢者が、まだまだ少ないとはいえ、)その働きに報われる。

人生、上向きになってまいりました。

次五。鼎大可觴、不斉不荘。(鼎、大いに觴(しょう)すべく、斉ならず荘ならず。)

司馬光曰く、「觴」はふつうは「さかずき」ですが、ここは「煮」(しゃ)の意である、と。

D  なべでたくさんのものを煮るときである。公平にとは行かず、豪華にとも行かないけれど。

だいぶん羽振りがよくなってまいりました。

次六。五味龢調如美如、大人之饗。(五味龢して調如たり美如たり、大人の饗なり。)

「五味」は「甘・辛・酸・苦・鹹」。

E  五つの味をうまくととのえ、調和しているぞ、美味いぞ。これは立派なひとの準備した宴席だ。

司馬光曰く、

君子輔佐国家、献可替否、進賢退不肖、燮和其政、調美如羹。献之於君、而君饗之、則天下大治矣。高宗命説曰、若作和羹、爾惟塩梅。

君子は国家を輔佐するに、可を献じ否に替え、賢を進め不肖を退け、その政を燮和(しょうわ)して、調美すること羹の如し。これを君に献じ、而して君これを饗せば、すなわち天下大いに治まらん。高宗の説(えつ)に命じて曰く、「もし和羹を作(な)さんとせば、爾はこれ塩梅せよ」と。

立派な君子が(しかるべき地位を得て)国家を助け支えるときには、いいものを献上してダメなものと取り換えなければならない。賢者を出世させ悪や愚を退け、まつりごとをぐつぐつと煮込んで、スープのように美味に調えねばならないのだ。そのスープを主君に献上し、主君がそのスープで天下に御馳走するならば、天下は太平となるであろう。殷の中興の主・高宗が、宰相の符説(ふえつ)に「スープをつくるときには、おまえが塩や梅で味付けをするのだぞ」と言った(「書経」による。「塩梅」(あんばい)の語源になった)ように。

宰相の位にある者の状態だ、というのである。

わーい、すごい出世しましたー。

次七。脂牛正肪、不濯釜而烹、則欧歍之疾至。(脂牛の正肪も、釜を濯(あら)わずして烹れば、すなわち欧歍(おうお)の疾至る。)

「欧」も「歍」も吐瀉やゲップのことです。

F  あぶらの乗ったウシのいいとこの肉でも、釜を洗わずに調理すれば、(ノロウイルスなどにより)吐き戻すような症状が出るだろう。

すごいいいモノを食っても、汚れていたのでは、正義の士たちからは批判されることになるであろう。高い地位に昇りすぎ、驕りたかぶってしまったのだ。

次八。食其委、雖噭不毀。(その委を食らえば、噭(ほ)ゆるといえども毀(こぼ)たず。)

「委」は「委積」(いし)のこと、貢納として得た穀物などの物資を言います。

G  そのひとの蓄えた物で養ってもらったのだ、批判はするが破壊まではしないだろう。

落ち目ですが、昔蒔いたタネでなんとかかんとかやっていけるかも。

上九。竈滅其火、唯家之禍。(竈、その火を滅す、ただに家の禍ならんか。)

H  カマドの火を消してしまった。その家にとっての災禍ですめばいいのだが・・・。

カマドで出来た食べ物で、後進の者たちを養わないのは、国家にとっての損失にもなるので、単なるその家の滅亡だけでは済まないんだそうです。

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漢・楊雄「太玄」(宋・司馬光「太玄集注」)より。「太玄」(または「太玄経」)は漢の大儒・楊雄が「易」に倣って自分で作ったものなので、「伏羲以来の聖人の真似をしおって」と批判的な儒者も多いのですが、「易」と違って合理的な説明がなされているので、この方が好きだ、というひとも多いんです。ニンゲンやっぱりエラくなるまでが地べたに足がついてて楽しいんだろうなあ、エラくなったらいろいろ各方面とのかかわりもあったりして、釜を洗わずに料理してしまうようになるんだろうなあ、と勉強になりますね。肝冷斎が元気なうちに聞いておけばもっと勉強になったかも知れないのに、みなさん相手にしなかったからなあ。

肝冷斎は、今日は南関東で目撃情報があったようです。いったい何をたくらんでいるのか・・・。

 

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