平成30年6月7日(木)  目次へ  前回に戻る

モグ八が岡っ引きの時代は、この町から縄付きは一人も出さなかったぜ(犯罪者はいたが)。後継者のひよ八はどんな辣腕を振るうか期待される。

今日が金曜日だと思っていたのに、まだ木曜日。あうー。睡眠時無呼吸症候群の治療もそろそろ限界か。ほんとに眠い。

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今日も眠たいので短くいきます。

孔子の弟子、宓子賤(ふく・しせん)が単父(たんぽ)という町の令(知事)となった。

弾鳴琴、身不下堂。而単父治。

鳴琴を弾じ、身は堂を下らず。而して単父治まれり。

琴を弾いて鳴らしているばかりで、家の本館から出ることもなかったが、単父の町はよく治まっていた。

そのあと、巫馬期(ふば・き)という人が単父の令となったが、巫馬期は、

以星出、以星入、日夜不居、以身親之。而単父亦治。

星を以て出で、星を以て入り、日夜居らず、身を以てこれを親(みずか)らす。而して単父また治まれり。

夜明け前、星の見える時間に家を出、日没後、星の見える時間にやっと家に帰り、昼間も夜も外に出て、自分自身の肉体を使って働いた。そのときもやはり単父の町はよく治まった。

さて、巫馬期が宓子賤に訊ねた。

問其故。

その故を問う。

「どうしてこんな差が出たんだと思いますか」

宓子賤は言った、

我之謂任人、子之謂任力。任力者故労、任人者故逸。

我はこれ人に任すと謂い、子はこれ力に任すと謂う。力に任する者は故に労(つか)れ、人に任する者は故に逸なり。

「わしのやり方は「人任せ」といい、あなたのやり方は「力任せ」というのじゃ。「力任せ」のひとはもとよりお疲れになるが、「人任せ」のひとはもとよりヒマになるんです」

なんだそうです。

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「呂氏春秋」より(「蒙求」巻中(「巫馬戴星」「宓賤弾琴」))。「人任せ」で「ヒマ」なのがいい、ような気がするんですが、「力任せ」で「疲れる」のも、適度な疲労があって安眠できるカモ知れません。いずれにしろ、町が「治まる」には能力か好運か人徳か、あるいはそのいずれも、が必要であろうけれど。

 

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