平成30年2月12日(月)  目次へ  前回に戻る

ぶたとなったので、会社に行かず、モグ足軽を鍛えて天下取りを狙うでぶー!

ぶた肝冷斎ですぶ。ブタになったのですから、明日からはさすがに出勤しなくてもいいでしょう。ああシアワセでぶう。

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昨日の続きです。

・・・州知事の黄廷宣は、まず、

召漁者、立限令捕三足鱉来。

漁者を召して、限を立てて三足鱉を捕りて来たらせしむ。

漁師どもを招集し、期限を設けてその日までに三本足のスッポンを捕まえてくるように命じた。

すると、

数日得之、以献。

数日にしてこれを得、以て献ず。

数日後には捕獲され、献上されてきた。

次に、知事は、

召此婦依前烹治、而出重囚令食之。

この婦を召して前に依りて烹治せしめ、而して重囚を出だしてこれに食せしむ。

容疑者の女房を連れて来て、前回同様に料理させ、重罪犯人(でどうせ死罪になるやつ)を獄中から連れ出してくると、そいつに食わせた。

むしゃむしゃ。

「まずまずの味でした」

食畢、引入獄、及門已化尽矣、所存衣髪皆与百姓同。

食し畢りて、引いて獄に入れしむるに、門に及んですでに化し尽くし、存するところの衣髪、みな百姓と同じ。

食べ終わったところで、また獄に連行して行かせたところ、官庁の門のところまで来たときに、もうどろどろに溶け切ってしまい、衣服と髪だけが、百姓と同じように残っているばかりとなってしまった。

「そうか、三本足のスッポンを食べると、溶けてしまうんだ。犯罪では無かったんだ!」

こうして女房は無罪放免となったのである。

すばらしい。めでたいことです。知事が賢いひとでよかったなあ。

―――ところで、この時スッポン捕りに従事した漁師たちが、こんなことを言っている。

初被網於川、挙網驚其太重、及岸視之。

初め網を川に被らするに、網を挙げるにそのはなはだ重きに驚き、岸に及びてこれを視たり。

命令を受けて最初に川に網を広げたとき、網を引き揚げようとして、あんまりにも重いのでみんなびっくりした。力を合わせて川岸まで引き上げて、

「いったい何がかかったんだ?」

とみんなで網を開いてみたところ―――

見一肉塊如人形、五官倶具、而無手足、閉目蠢動。

一肉塊の人の形の如く、五官ともに具わるも手足無く、目を閉じて蠢動せるを見たり。

ニンゲンのような形をした肉塊がかかっていた。目や耳や鼻や口のようなものもある。ただ、手や足は無い。そいつが目と思われる部分は閉じたままで、もぞもぞとうごめいていたのだ!

「うわーん!」「なんでちゅか、これはー!」「ヤバい、ヤバいよー!」

みんな大いに驚き、

擲之水中。

これを水中に擲つ。

すぐに水の中に放り込んでしまった。

ところが、

別網一所、得物状亦如之。

別に一所に網するに、物の状またかくの如きを得たり。

別のところで網をかけていたグループが、また全く同じようなのを引き揚げてしまったのである。

「うわーん!」「これ、たくさんいるのかー!」「ヤバい、ヤバいよー!」

群漁懼、共買牲酒祭水神、祷曰、我輩奉命於官、尋三足鱉、乃連得怪物。如違限、必獲罪矣。惟神佑之。

群漁懼れ、共に牲・酒を買いて水神を祭り、祷りて曰く、「我が輩官に命ぜらるを奉じて三足の鱉を尋ぬるに、すなわち怪物を連得せり。もし限に違わば、必ず罪を獲ん。これ神、これを佑けよ」と。

漁師たちは恐怖しまして、共同して犠牲のウシとお神酒を買って、信仰する水がみさまをお祀りした。その祈祷の言葉に曰く、

「われら、官庁よりのご命令により三本足のスッポンを獲らえんとし、怪しきモノが連続して網にかかってまいりました。こんなことをしていて、もしスッポンを捕るべき期日に間に合わなかったら、どんな罰を与えられるかわかりません。どうか水がみさま、お助けくださいませ」

と。

祷畢而網、乃得鱉焉。

祷り畢りて網するに、すなわち鱉を得たり。

祈祷し終わって最初の網を投げ入れたところ、すぐに(三本足の)スッポンを捕まえることができたのであった。

それにしても、

竟不知前二物為何也。

ついに知らず、前二物の何たるかを。

とうとう網にかかった二つのモノが何ものであったのか、不明のままであった。

さて、春秋戦国期の記録を漢代に整理したもの、とされる古代の字書「爾雅」によれば

鱉三足為能。

鱉三足なるものは能と為す。

スッポンの三本足のものを「能」といい、たいへんな力を持つ水生動物である。

とある。古代の地理書「山海経」にも

従山多三足鱉。

従山に三足鱉多し。

従山には三本足のスッポンが多数棲息している。

とある。

とすると、

是物、世亦有、但人食而化、伝記所無。然一挙而得二異、尤前所未聞也。

この物、世にまた有るも、ただ人の食らいて化するは伝記の無きところなり。しかるに一挙して二異を得ること、尤も前にいまだ聞かざるところなり。

この(三本足のスッポンという)生物は、むかしから世界に存在していたものであることは、周知のことであったのだ。しかし、これをニンゲンが食べると説けてしまう、という記録はこれまで無かった、ということである。しかし、そのことがわかっただけでなく、別の奇怪なモノも出現したのは、これまでに無いような出来事であった。

ニンゲンのようなうごめくモノ、は、三本足のスッポン事件とはもとより何の関係も無く出現したモノである。水生動物に詳しい漁師たちもそれまで見たことがなく、またそれ以後も発見されていないモノが続けざまに見つかった、とは、まことに不思議なことであったといえよう。

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明・陸粲「庚已編」巻一より(「続耳譚」巻五所収)。

この怪物は、土左衛門先生のまだ息があったものなのであろうか。それとも未知の生物(例えば、淡水性のアザラシとかジュゴン)だったのであろうか。囚人に食わせてみるところとか、水神さまに祈るとか、漁師や知事の行動は、みなさんのような近現代人に理解してくれ、というのがムリでありましょう。しかし、前近代の東洋のひとたちはオロカモノが多くて、こんな感じが普通だったらしいのである。それはそれで豊かな精神世界だったのかも知れません。

いにしへの珍(うづ)の宝

目くるめく

常世(とこよ)の富

 われは見て 声を呑む (釈迢空「現代襤褸集」より)

ぶたになったので、これからは会社に行かずに読書したりして過ごしまぶ。目くるめくような珍しいお話もたくさん読めるでぶー。シアワセだなあ・・・いや、シアワセでぶー。

 

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