腹が減ってきたら、減りきる前に食糧を探し当てねばならない。放っておくと腹が減って動けなくなるからである。
うわーん、また月曜日が来るよー。月曜のあとは火曜、そのあとは水曜・・・と、イヤな日々が続く。
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イヤなことがやがて必ず来ますよ、というのは、賢者にとっては当たり前のことなんです。
「周易」の坤卦・初六爻辞に曰く、
履霜、堅冰至。
霜を履まば、堅冰至らん。
霜を踏めば、やがては堅い氷になる(のを予想しなければならない)。
なるほどなあ、勉強になるなあ。
せっかくですので、コドモ賢者の程伊川さまに解説いただきます(「伊川易伝」)。
「おっほん。坤の卦は☷の下に☷がある、全部陰であるという卦で、初六はそのいちばん下、易ではいちばん下がいちばん最初でそこからだんだん上にあがっていく、というお約束になっておりまちゅから、この爻は陰の最初なんですな。
陰始生於下、至微也。聖人於陰之始生、以其将長、則為之戒。
陰始めて下に生ずる、至りて微なり。聖人、陰の始めて生ずるにおいて、そのまさに長じんとするを以てこれが為に戒むるなり。
陰が下の方にはじめて生じたときは、たいへん小さいものでちゅ。しかし聖人は、陰がはじめて生じたときに、もうそれが今後どんどん成長することを見越して、そのためにイマシメてくだすったのでちゅ。
陰之始凝而為霜、履霜則当知陰漸盛而至堅冰也。猶小人始雖甚微、不可使長、長則至於盛也。
陰の始めて凝りて霜と為るなれば、霜を履めばまさに陰のようやく盛んにして堅冰に至ることをしるべきなり。小人の始めは甚だ微なりといえども、長ぜしむべからず、長ずればすなわち盛んなるに至るがごとし。
陰のはじめて集まって、霜となるわけですから、その霜を足で踏むような季節になれば陰がどんどん盛んになって、いずれは堅い氷にまでなるのだ、と予測せねばなりません。これは、くだらぬモノたちがはじめは下っ端として働いているだけなのですが、彼らを助長してはいけない、彼らは成長するとどんどん増えて、権力を握ってしまうものだ、ということの比喩なんでちゅ。
そういう教訓として、この爻辞は読まねばならないのでちゅぞ」
これは勉強になった。
悪いやつは用いてはいけませんね。
この「坤」の初爻は最初の「陰」なので、旧暦の五月(現代の六月、夏至の月)を表わすとされています。
ところで、「礼記月令篇」では、霜は九月(今の十月)、氷は十二月(一月)のもの、とされています。真夏には霜は無いはずなのに、なぜ霜を履むことができるのか。
五月陰気始生地中、言始于微霜、終至堅冰、以明漸至也。
五月、陰気始めて地中に生ず、言は微霜に始め、ついに堅冰に至りて、以て漸至を明らむるなり。
五月(今の六月)には(夏至が終わって)陰の気が地面の下にはじめて生まれるのである。このため、「わずかな霜」と始まりを言い、やがて堅い氷に至るのは、「イヤなことは突然ではなくだんだん来るぞ」ということを明らかにしようとしたのだ。
というのは清の李道平の意見(「周易集解纂疏」)。地面の中にある抽象的な霜らしいんです。
近人・尚秉和(1870〜1950)も
霜即喩此微陰、微陰見故曰履霜。非有待於後也。
霜はすなわちこの微陰に喩え、微陰見(あらわ)る故に履霜と曰うなり。後に待つ有るにあらざるなり。
霜はつまり「わずかな陰」の喩えである。わずかな陰が見えはじめたのを、「霜を踏む」と言うのである。何か月か後に霜を踏む、のではありません。
と言ってるんです(「周易尚氏学」)。
ということで、いまごろの六月には、もう霜を踏んでいる、と理解してください。
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今日は夏なのに雨降って寒かったですね。とにかく明日にはまた月曜日が来て、堪えに堪えて一週間が終わってもまた「すぐに月曜日が来る」と、賢者たちはおそろしい予言をいたします。まさか、とは思うのですが、そんな予言ははずれますように、もう二度と月曜日なんか来ませんように、と祈りながら、今日を終えることといたします。(参考→「履霜」)