「シアワセ」はもちろん、「ふつう」「ダメ」さえうまくつかめず、自我崩壊中。
おいらは、職業人としてはもちろん、ニンゲンとしてもやっていけないレベルであることが明らかになってきました。よく怒られるが反論できないのはもともとだが、だんだん表情もなくなってきた。
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春秋の時代―――紀元前548年夏五月、斉の荘公が亡くなった。
ただ亡くなったのではない。有力な大夫であった崔杼が弑殺したのである。
まこと混乱の中にこそ人の本質は明らかになるもので、この事件に関する「春秋左氏伝」の記述には、死を恐れずに主君・荘公の亡骸に礼を尽くして従容として去った晏嬰の行為や、「崔杼その君を殺す」と記録して太史の兄弟が三人まで殺され、四人目は放っておかれたが、四人目も殺されたと聞いて南史が竹簡と刀筆を持って駆けつけたエピソードなど、ドラマな逸話があふれております。
さて、このとき、陳不占という者があった。
聞君難将赴之。比去、餐則失匕、上車失式。
君の難を聞きてこれに赴かんとす。去るに比(およ)んで、餐すればすなわち匕を失い、車に上れば式を失う。
崔氏の私兵に主君の荘公が襲撃されていると聞いて、主君のもとに駆け付けようとした。出かけようとして、食べ物をかっこもうとすると匙を落としてしまう。馬車に乗ろうとして、横木を握ろうとするが何度握りなおしても握れない。
はなはだしく緊張しているのである。
御者曰、怯如是、去有益乎。
御者曰く、怯(ひる)むことかくの如ければ、去(ゆ)くも益有らんか。
御者の童子が言った。
「だんなちゃま、こんなにびびっていては、いくさに駆け付けたとて何にもできませんでちゅよ。(ムリは止めておけば・・・)」
「い、いやいや」
陳不占は首を振って、言った。
死君義也。無勇私也。不以私害公。
君に死するは義なり。勇無きは私なり。私を以て公を害さず。
「しゅ、主君のために死ぬのは公的な正義である。わ、わしに勇気がないのは、わしの個人的な事情である。個人的な事情で公的な正義を妨げてはならないのだ」
と言いました。
「なるほど。これは理屈でちゅね」
不占は御者を急がせ、
遂往。
遂に往く。
とうとう出発した。
やがて、戦場が近づいてきました。
すると、陳不占は
聞戦闘之声、恐駭。
戦闘の声を聞きて、恐れ駭ろけり。
戦場の鬨の声や刀剣の音を聞いて、恐怖のために取り乱しはじめた。
「あわわわわわわわわ・・・・・・、う、うわーーーー!!!!!」
恐怖のためにのけぞった拍子に、
どすん!
車から落ちてしまった。
そのまま、ぴくりとも動かない。
「ありゃりゃ? どうちまちたかね」
御者が馬車を止めて駆け寄ってみると、恐怖の顔をしてすでに死んでいた。
乱が落ち着いたころ、ひとびとは言った。
不占可謂仁者之勇也。
不占は仁者の勇を謂うべきなり。
「陳不占というやつは、心優しい勇者であった」と。
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仕事で失敗の連続。もう存在の意味も無い、迷惑多い、とまで言われ、びびっているわたくしども。
「無能なのはわしの個人的な事情。個人的な事情で仕事を辞めてはならない・・・のではないカモ」
と悩んでおります。陳不占の姿は、なんと身につまされるものではございませんか。