読めない。わかんない。勉強したくない。
なんか一日生き延びた。あまりにも運がよかっただけなのだ。明日こそはもうダメだ。
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万葉びとというのは
その「歌」に於ては、太古人が神であつた時のままに、大方に神を遠ざかつた現世を、なほ虚心に生きた人々であつた。そして今もなほ、わが敷島の道では、日本人の心として、この呼吸が生きてゐるのである。(保田與重十郎「わが萬葉集」第四十九より)
というので、時々は読むようにしています。特に「もうダメだ」という時にこそ・・・。
石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首。
石川の女郎(いらつめ)の更に大伴の田主の仲郎に贈れる歌一首
大伴氏の女性である石川イラツメが、大伴の田主(名前は仲郎という)もまた贈ったうた一首
を読んでみます。
吾聞之耳爾好似葦若末乃足痛吾勢勤多扶倍思。
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漢文でもないので読み方がわかりません。
なんと読むのでしょうかな。漢文的に読み下してみると、
吾これを聞くのみ、好んで葦に似て末のごときのすなわち吾が勢(!)を痛むるに足る、勤めて多く思いを倍すを扶けよ。
なんじゃこりゃ。
しかし、九世紀以来の歌学者たちがこの「万葉仮名」を読み解いてまいりました。
吾ガ聞キシ耳爾(に)好(よ)ク似ル葦ノ末(うれ)乃(の)足痛(ひ)ク吾ガ勢(背)勤(つと)メ多扶(たぶ)倍思(べし)。
⇒吾(あ)が聞きし耳によく似る葦のうれの足ひく吾が背つとめたぶべし。
わたしが聞き及びますところでは、葦の先っぽは耳のような形をしている、ということですが、その「葦」と同音の「足」を引きずっているわたしのいいひと、がまんして治療してくださいね。
右、依中郎足疾贈此歌問訊也。
右は、仲郎の足疾によりて、この歌を贈りて問訊せるなり。
上の一首は、仲郎が足の病いにかかったというので、この歌を贈って見舞いにしたのである。
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「万葉集」巻第二(128番)より。
1200〜1300年前のひとですが、今日生きているひとのように親しい感じがいたします。吾もまた精神的に加えて肉体的にも追い込まれていまして、足がピリピリと痛いんです。そろそろ痛風発症するかもねむ。