「自由に旅すべき」「ぶーん」
今週ツラかった。しかし何も解決せずに問題深まって、来週に続く。なんとか早くこんなクビキから自由にならねば・・・。
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老莱子は春秋時代、楚の国にいたという賢人で、「二十四孝」や「蒙求」の「老莱斑斕」の故事で名高い志の高尚なひとでありますが、その奥さんもえらかったんです。
「古列女伝」に曰く―――
楚の王さまが老莱子の賢者なりとの評判を聞いて、
駕至莱子之門。
駕して莱子の門に至る。
馬車に乗って自ら老莱子の家にやってきた。
莱子方織畚。王曰、守国之政、孤願煩先生。
莱子まさに畚(ふご)を織る。王曰く、守国の政、孤、願わくば先生を煩わさん。
老莱子はちょうど「ふご」(藁などで編んだモッコ、背負子)を編んでいたところであった。王さまはその莱子にむかって言った、
「国を守るための政治について、わたくし、できれば先生にご迷惑をおかけしたい」
大臣あるいは顧問として支えてくれ、との申し入れであります。
老莱子、訊ねた。
「いやだと申し上げたら?」
王曰く、
「ここを退きませぬ」
「なんと。それはまた困ったな」
そこで老莱子は言った、
諾。
「諾」
「承知しました」
「おお、ありがたい」
王去。其妻樵還曰、子許之乎。
王去る。その妻、樵より還りて曰く、「子これを許すか」
王さまは出仕の日取りを確認して、帰っていかれた。
ちょうどそこに、老莱子のおくさんが薪木拾いから帰ってきて、一部始終を聞いて、老莱子に訊ねた。
「それで、おまえさん、引き受けたのかい?」
然。
然り。
「そうじゃ」
おくさんは言った。
妾聞之、可食以酒肉者、可随而鞭撻、可擬以官禄者、可随而鉄鉞。妾不能為人所制者。
妾これを聞く、食らうに酒肉を以てすべき者は、随いて鞭撻さるべく、擬するに官禄を以てすべき者は、随いて鉄鉞さる、と。妾、人の制するところと為るあたわざる者なり。
「あたしはこう聞いているよ。
酒や肉をたっぷり飲食できるような地位の人は、(主君に)ムチや杖でぶん殴られてもしようがない。
お国から給料をもらえるような地位の人は、(主君に)鉄のまさかりで首をはねられてもしようがない。
てね。あたしは他人様のご命令を受けるようなことにはなりたくないね」
そして、
妻投其畚而去。
妻、その畚を投じて去れり。
おくさんは薪木を背負っていた背負子を投げ出して、出て行ってしまった。
「おいおい、待ちなさいよ」
老莱子亦随其妻。
老莱子、またその妻に随う。
老莱子も、おくさんのあとについて家から出て行ってしまった。
二人はそのまままだ原始のころの長江の南に行き、
鳥獣之毛、可績而衣。其遺粒足食也。
鳥獣の毛、績みて衣にすべし。その遺粒、食らうに足る。
鳥やケモノの毛を撚って着るものすればいいや。落穂を拾って食っていこう。
と言いまして、そこに隠れ棲んだという。
当時、楚の国に旅していた孔子は、そのコトバを伝え聞いて、
蹙然改容焉。
蹙然として容を改む。
顔つきを変えて敬意を表した。
のだそうでございます。
ああ。
人に制せられて、却って喜ぶ者のなんと多いことであろうか。そんな人は、本当の自由を棄てて顧みようとしていないのだ。男児たるものの自由を求めることの、どうして老莱子の妻に後れることがあっていいものだろうか。(←あッ、これはまずい!男尊的ですぞ!危険思想ですぞ! 警告、警告!)
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我読先秦書、 我、先秦の書を読むに、
莱子有逸妻。 莱子に逸妻有り。
閨房以逸伝、 閨房に逸を以て伝わるは、
此名踏者希。 この名、踏む者希(まれ)なり。
勿慕厥名高、 その名の高きを慕うなかれ、
我知厥心悲。 我はその心の悲しきを知る。
わたしは春秋戦国時代の書物を読んでいて、
老莱子に隠逸を求める女房がいたことを知った。
女性でありながら隠逸を以て名が伝わるというのは、
後世その名声を同じくするひとは滅多にいない。
けれどもその名声の高いのにあこがれてはいけない。
(現世を否定して隠逸を求めた)その人の心がどんなに悲しかったか、わたしにはわかるのだ。
この詩は清・龔定盦「寒月吟」其三より。