「ハタラキばちとしての限界では?」「ぶーん」
本日のこと、一言以てこれを蔽わば、ツラかった。
明日も朝からツラそうです。
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東晋のころ、王濛、劉惔の二人は、蔡謨、字・道明の友人であったが、慣れ親しんで、蔡謨の博学であるのを正当に評価していなかった。
二人嘗詣蔡。
二人かつて蔡を詣す。
二人は、あるとき、蔡謨のところを訪れた。
語良久、乃問蔡、曰公自言何如夷甫。
語やや久しく、すなわち蔡の問いて曰く、「公、自ら言いて夷甫と如何ぞ」。
しばらく歓談していたが、やがてどちらからともなく蔡謨に質問した。
「おまえさん、自分と王夷甫を比較してどう思うかね」
王夷甫は王衍のことで、風姿あり、清談を好み、自らを孔子の高弟・子貢に比したという一代の名士であります。
蔡謨、表情も変えずに答えて言う、
身不如夷甫。
身は夷甫に如かず。
「おれが王夷甫にかなうものか」
「むふふ」「そりゃそうだろう」
王、劉相目而笑、曰公何処不如。
王、劉、相目して笑い、曰く、「公、何れの処か如かざる」。
王濛と劉惔、目配せしあって笑って訊いた。
「おまえさん、どういうところがかなわないのかね」
蔡謨答えて曰く、
夷甫無君輩客。
夷甫に君輩の客無し。
「だって、王夷甫の家にはきみらのような下らんお客は来ない、だろうからな」
「ほう」「なるほど」
それから三人で大いに笑うた、ということでございます。
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「世説新語」排調二十五より。
おいらもこんなふうに言い返したい。しかし鈍重で頭の回転が足りないので言えません。