平成27年9月22日(火)  目次へ  前回に戻る

秋の色になってまいりましたでぶー。

この数日は休ませていただき、山中で心を鎮めておりました。休むと少し治るんです。

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前回(9月18日)、明末の文人・眉公・陳継儒の編纂した「太平清話」を引用したので、ついでに彼に関する「悪いウワサ」をご紹介しておきます。

―――おっほん。わたしは陳眉公本人である。わたしは、

年未三十、焚棄儒冠、自称高隠。

年いまだ三十ならずして儒冠を焚棄し、自ら高隠と称す。

三十歳にもならないうちに、(役人やそれを目指すひとがかぶる)儒者用の冠を捨てて燃やしてしまい、自ら「わしは高尚な隠者である」と称したのでありました。

これはどういうつもりであったのかと申しますに、

非薄卿相而厚漁樵、正欲藉漁樵而哄卿相。

卿相を薄くして漁樵を厚からんとせしにあらず、まさに漁樵を藉(か)りて卿相を哄(わら)わんと欲せるなり。

貴族・大臣のようなお偉がたとの付き合いをやめて、漁師や木こりのような庶民と厚く付き合おうとした・・・のではないのでございます。逆に、漁師や木こりの姿を隠れ蓑にして、貴族・大臣らを嘲笑しようということであったのです。

騙得他冠裳動色、怎知俺名利双収。

他の冠裳の動色を騙得せば、いかでか俺の名利を双収するを知らん。

わたしは、自らの冠やスカートの色を変え(儒者ではなく隠者であることを示して)、それによって世の中をたばかり、おのれの名誉と利益をふたつながら収め得たのでございます。

隠者のふりをして権力者たちから出資を得、

費些銀銭飯食、将江浙許多窮老名士、養在家中、尋章摘句、別類分門、凑成各様新書刻版出売。

些かの銀銭・飯食を費やして、江浙の許多(いくばく)の窮老の名士を将(ひ)いて、家中に在りて養い、章を尋ね句を摘まみ、類を別ち門を分じ、あわせて各様の新書を成して版に刻み出売す。

いくばくかの金銀や銭、食い物を用意して、浙江地方の多数の貧乏読書人らを引っ張り込んで自分の家で使い、いろんな本のいろんな部分を探し出して分類し、これらを編集してたくさんの書物にし直して、出版し販売したのでありました。

すると、これらは大した眼識もないネズミ程度の智慧の科挙受験者どもに好評を博し、あちこちに宣伝されて、その中から黄金や白銀の大判・小判も隠者としての名声もザクザクと手に入れることができたのでございました。

海外にも名を知られ、多くの地方官、中央任命の官僚らはみな続々とわたしに面会を求めてきましたので、わたしは彼らにわざと面会したりしなかったり、しました。このことでお偉方たちはより一層「ぜひとも面会したい」と競争してわたしに面会するために多大な礼物を持って訪れるようになったのでございます。

ついにはお上からのお招きがございましたが、これには鄭重にお断り申し上げたので、わたしの評判は上がるばかり。

しかも私人としての文章に紛れさせて多くの正しいひとびとの陰口を広め、朝廷内の意見まで左右したのでございます。

ああ。

自古至今、一个窮工極巧的売買、竟被我陳眉公做化了。

いにしえより今に至るまで、一个(か)の工を窮め巧を極むるの売買、ついに我が陳眉公に做(な)し化せられ了せり。

古代から現代にいたるまで、最大級の究極の巧妙な商売が、わたしこと陳眉公によって成し遂げられた、のであります!

もしも将来においてこのカラクリに気づく者がいたとしても、実際の書や画のすばらしさには文句はつけられますまいし、なにより文芸の世界にはわたし陳眉公の弟子筋の人間が満ちているのですから、そんな批判が広がるはずもございません。

玆一个隠逸之名、真个安如泰山、穏如磐石也。

この一个の「隠逸」の名、真个に安らかなること泰山のごとく、穏やかなること磐石のごときなり。

かくして「隠逸」の一語によって、泰山よりも安定した利益をあげ、岩や石よりも永遠の名声を得ることができたのでございます。

・・・なるほどなあ。

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清・蒋士銓の伝奇劇「臨川夢」の第二篇「隠奸」(ワル隠者)の中で、隠士・陳眉公(に扮する役者)が自ら話す一段でちたー。口語なので読み下しにくいが意味はわかりやすいと思います。

作り話、それもN○Kの大河ドラマばりの歴史修正の劇中の語ですから、本気にしてはいけませんよ。

・・・あれ?「隠逸」の一語を「公正なメディア」と書き換えればそのまま使える?

 

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