ササの葉サラサラ?何言っているんですか、今日はまだ5月22日だよ。
夏五月です。疲れた。なのに今日ままだ火曜日。人生イヤになってきた。
「ずいぶん白髪も増えたろうなあ・・・」
と鏡を見てみようかな、と思ったのですが―――
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東晋末のひと殷仲文は陳郡のひと、従兄の殷仲堪の推薦で仕官して尚書省に務めた。桓玄の乱が起こったときに彼に取り入り、桓玄が失脚した後は反省の意を表したものの許されるところとならず、役所の庭の年老いた槐の樹を見上げて、
此樹婆娑、無復生意。
この樹婆娑(ばしゃ)、また生意なし。
この木はもうボロボロだ。生きる力を失っておるようじゃ。
とためいきをついた。
けだし、自らの不運(というか定見の無さ)を嘆いたのである。
彼は
素有名望、自謂必当朝政。
もとより名望有り、自ら謂う「必ず朝政に当たらん」と。
以前から有名で評判が高く、自らも自信を持っていて、
「わしはいずれは朝廷の中心となって働くことになるのだろうなあ」
と言っていた。
ところがこの不始末で官位を止められているうちに、日ごろから軽んじていた者たちが同輩となって
並皆比肩、常怏怏不得志。
並びにみな肩を比(なら)べ、常に怏怏(おうおう)として志を得ず。
みんな彼と肩をならべる地位に就いたので、いつもぐずぐずとして不満そうな様子を見せるようになった。
こういうところが人々に嫌われないわけがありません。
ようやく処分が降って、
忽遷東陽太守。
たちまち東陽太守に遷(うつ)る。
思いがけないことに、会稽・東陽の知事に出されることになってしまった。
断罪されなかったことを感謝すべきかも知れないのですが、もともと自負の強いひとだったので、
意弥不平。
意、いよいよ平らがず。
心はさらに平らかでなくなった。
任地の東陽を含めて、会稽一帯の軍権を握っている何無忌という将軍がおりました。何無忌はもともと仲文を高く評価していたので、文人たちを集めて文学を講じて宴会を開く用意をして待っていた。ところが、
仲文失志恍惚、遂不過府。
仲文志を失いて恍惚とし、ついに府を過ぎず。
仲文は左遷されて心の支えを失い、ぼんやりとしたまま、何無忌の事務所に挨拶に寄らずに通り過ぎてしまった。
何無忌は大いに怨み、軍政の大権を握る劉裕(後に禅譲を受けて宋の武帝となる)に、
殷仲文乃腹心之疾也。
殷仲文はすなわち腹心の疾なり。
殷仲文は、内臓の中の病というべき存在でございましょう。
と中傷した。
「ほう、そうなのかね・・・」
義熙三年(407)、謀叛の疑いにて捕らえられ、誅せらる。
仲文時照鏡、不見其面。数日而遇禍。
仲文時に鏡に照らすもその面を見ず。数日にして禍に遇う。
この直前、仲文は、鏡を覗きこんでも自分の顔を映らなくなったので、大いに不思議に思っていたのだが、その数日後に捕らえられたのだ、ということである。
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「晋書」巻九十九・殷仲文伝より。「蒙求」にいう「仲文照鏡」という故事にございます。
鏡見るのコワくなってきた・・・でしょう? (参照せよ→○26.10.26)