健康のために飲食中。
疲れた。疲れたので帰りにぎょうざの「○将」でたらふく食べて、腹苦しい。体重増えたー。
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・・・その日は、先生とともにみんなでメシを食っていたんです。
メシを食いながら先生がおっしゃるには、
凡飲食只是要養我身。
およそ飲食はただこれ、我が身を養うを要(もと)むるなり。
「もぐもぐ・・・、だいたい飲み食いするということは、自分の身体を養うことのためにするのである。
ところが食うだけで、
食了要消化、若徒蓄積在肚裏、便成痞了、如何長得肌膚。
食い了して消化を要むるに、もしいたずらに肚裏に蓄積せば、すなわち「痞」を成し、如何ぞ肌膚に長しえに得んや。
食い終わって消化しようというときに消化せず、もしも意味も無く腹の中にたくわえているのでは、それは「糞づまり」の病いになってしまって、どうして皮膚や肉にまで栄養が行きわたることがあろうか。
後世学者博聞多識留滞胸中、皆傷食之病也。
後世の学者、博聞にして多く識りて胸中に留滞するは、みな食に傷むの病なり。
近世の(唐や宋や明の)学者が博くいろんなことを聞き知っているのに(実際の役に立てることができず)胸の中にしまったままにしているのは、すべて、食べ過ぎて腹が苦しい症状である、というのがよろしい。
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と王陽明「伝習録」に書いてあった。
これを読んで、
「なるほどなあ」
と明治十三年(1880)七月三十一日の夜に感心した。
王陽明のこのコトバはたいへん適切である。
方今日本ヨリ泰西諸国ニ遊学スルコト数年ニシテ帰国スル者等多ク胆力ヲ落失シテ活発ノ気象ヲ消失シ其遊学セザルニ劣ルモノ尠(すくな)シトセズ。是レ即チ多食消化スル能ハズシテ身徒(いたずら)ニ重ク復タ動作ニ便ナル能ハザルモノナルベシ。
最近、日本からヨーロッパ諸国に遊学して数年経って帰国してくるやつらの中には、キモの力を失い、活発な性格を喪失してしまって、遊学しなかったときにも及ばなくなってしまっているのが、少なくない。これは、たくさん食い過ぎて消化することができず、身体が無意味に重くなり、動きも鈍くなってしまったものであろう。
また、最近の学ぶ者には、書を読むこといよいよ多くしてこれに随って活発な性格を喪失してしまっているやからも多い。これもまた、
所謂食傷ニ非ザルコトヲ得ンヤ。
いうところの食べ過ぎであることを否定することはできないと思われるのである。
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と明治十三年に言っているのは植木枝盛先生です(「無天雑録」(家永三郎・外崎光広編、1974法政大学出版局)第三巻より)。日曜日、立教大学の近くの古書店で見つけて買ってきた。植木枝盛先生はこの年の夏は「伝習録」をかなり熱心に読んでおられる。そのほかにも仏書や耶蘇教や歴山大王のことなどを読んでいるようである。その雑駁さと、「雑録」での読んだ本の引用の仕方とか感想の書きつけ方とかが当「肝冷斎雑志」HPときわめて似ており、たいへん勉強になります。