←珍しいぶた野菜賢者さまたち。
うわー。また明日から平日だー。逃げ出したいよー。
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さてさて。宋の時代。
程明道先生がおっちゃいまちたよ。
吾学雖有所受、天理二字、却是自家体貼出来。
吾が学は受くるところ有るといえども、「天理」の二字は、却ってこれ自家体貼して出で来たれり。
「うっしっし。おいらの学問にはたいてい先生がおられますが、「天の理」という二文字のことに関しては、先生と関係無く、自分自身の中から編み出したものなんでちゅよ」
人欲の私を去って天理の公に帰することはたいへん重要なことなのですが、では「天理」とは何ぞや、というとそれは人から教えてもらうわけにはいかんのだ。そんなことをしまくても、自分自身を真剣に反省していれば、自分の中からそれはにじみ出てくるものなのだ、ということなんでちょうね。
先生はほんわかした温かなひとでちたが、真実をいうときには厳しいところがありまちた。
四川の名儒・張横渠先生がお見えになりまちて、言うことには、
吾十五年学个恭而安、不成。
吾、十五年、この恭にして安なるを学ぶも成らず。
「ぶうぶう。おいらはもう十五年間にわたって「うやうやしく、安らかである」という境地を学んでいるのでちゅが、なかなか到達ちないね」
明道先生が答えて言うことには、
可知是学不成、有多少病在。
知るべし、この学成らざるは、多少の病の在ること有るを。
「うっしっし。おまえさんの学問が到達ちないのは、いろいろ問題点がある、ということなんでちょうね」
また、横渠先生は名著「正蒙」を著されたとき、
処処置筆硯、得意即書。
処処に筆硯を置き、意を得れば即ち書す。
家のあちこちに筆と硯を置いておき、(日頃考えていたことに)「ぶうぶう・・・これだ!」と納得いくと、すぐその場で文章に書きつけたそうでちゅ。
このことを聞いた明道先生が言うことには、
子厚、却如此不熟。
子厚、かえってかくの如く熟せざるなり。
「うっしっし。子厚ちゃん(←横渠先生の字)、そのせいでこんなふうに未完成なものになってしまったのね」
と。
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宋・謝顕道「上蔡語録」より(「伊洛淵源録」巻三・巻六所収)。
「君子は威厳はあるが実は優しい、けれどなれなれしくすることはできない」(君子三変)
の「なれなれしくできない」というのは、まさにこういう点をさして言っているのでしょう。
・・・うわー、平日になる前に社会を逃げ出して、こんなことばっかり勉強して暮らしたいよー。(T_T)