明日は統一地方選。役に立つブタもいるカモでぶう。
やっと休日。先週はシゴトたいへんだし咳が出るし、で平日の間は更新できなかった・・・はずなのですが、あれ? 誰かが更新してるみたいだぞ。
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さてさて。
むかしむかしのことですが。
中原から東の方へどんどん行きますと東始山という山がありまして、そこから東南に三百里ほど行きますと
女烝山
という山がありまして、
其上無草木、石膏水出焉。
その上に草木無く、石膏水出づ。
その山上には草木は生えていないが、石膏が液体化した水が流れ出ているのである。
この水、川となって西に流れて鬲水(れきすい)に合流するのだが、
其中多薄魚。
その中に薄魚多し。
その水中には、「薄魚」(はくぎょ)というセイブツが多く棲息している。
石膏が液体化したものに棲息しているのですから、ふつうの生物とは違う。
其状如鱣魚而一目、其音如嘔。
その状は鱣魚(せんぎょ)の如くして一目、その音は「嘔」のごとし。
その形状はうなぎに似ているが目が一つしかない。そして鳴き声は「嘔」のようである。
晋・郭璞によれば「嘔」とは「人の嘔吐の声の如し」というので、「げげー」である。
さらに、一つ目ウナギが「げげー」と鳴いているのを誰かが一目でも見たら、たいへんなのである。
見則天下大旱。
見(あら)わるれば、天下大いに旱す。
この魚が(ニンゲンの目の前に)出現すると、世界には日照りの災いが起こるのだ。
ということで、どういう因果関係だか説明可能性なのだか知らんが、薄魚は日照りとシンクロナイズしているのである。おそろしい魚がいたものである。
一つ目の薄魚。
・・・こんな記述を読むと、コドモ心にも、自然界はおそろしいところだなあ、という思いを深くいたしてちまいまちゅ。
ところが、この山からまた東南に二百里行きますと、
欽山
という山があるのでっちゅ。
多金、玉而無石。
金・玉多く、石無し。
黄金や玉が大量に存在している。普通の石が存在し無い。
この山からは師水という川が流れ出、北に流れて皐澤(こうたく)に注ぎこんでいるのであるが、この川には「鱃魚」と「文貝」が棲息しているそうです。「鱃魚」(しゅうぎょ)は他の地域にも見られ、鯉に似て頭の大きな魚であることがわかっております。イボを取る薬になるようです。「文貝」はもようのある貝でしょう。
鱃魚。かっこいい。
ところでこの山には、
有獣焉。
獣有り。
特産のドウブツがある。
其名曰当康。
その名は「当康」と曰う。
「とうこう」と呼ばれるドウブツである。
おそろしいドウブツなのでしょうか。
其状如豚而有牙、其鳴自叫。
その状、豚の如くにして牙有り、その鳴くや自ら叫ぶ。
その形状はブタのようであるがキバを持っている。その鳴き声は自らを呼ぶようである。
つまり「とうこう」と鳴くのでちゅ。
そしてこのドウブツ、
見則天下大穣。
見わるれば天下大いに穣る。
出現すると、世界中が大豊作になるのである。
ということは・・・わーい、いいドウブツでちたー!やっぱりブタのようであるものはいいドウブツなのだー!
当康でぶう。ただのイノシシのようにも見えるが・・・。
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「山海経」第四「東山経」より。
わーい、わーい、ブタがいいものであることが証明されまちたー、うれちいなー。
・・・と、ついつい浮かれてしまったが、それより平日の間はいったい誰が更新していたのだ? わしの影か? それともわしの方が影なのか?
どちらが「本体」なのか、決着をつけねばなるまい・・・。