平成27年4月21日(火)  目次へ  前回に戻る

「賢者がコワくてブタがやってられるかってんだ!」

・・・儒教の賢者は厳格なひとが多く、そのままではコワいことから、当HPにおいては、みんなコドモ賢者であったと見做しています。

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宋の程明道先生

終日坐如泥塑人。

終日坐すること、泥塑人の如し。

一日中、どてーと座っておられまちて、そのようすはまるで泥人形ちゃんのようでちたぞよ。

うわーい、泥人形だあ。おもちろい。実際には、「座禅」から学んだ修養法である「静座」を一日中行っていたのでちゅな。

しかるに、

接人渾是一団和気、所謂望之儼然、即之也温。

人に接するやすべてこれ一団の和気、いわゆる「これを望むに儼然たり、これに即(つ)くや温なり」。

誰かと応接するときには、まったく一塊のやわらかな気体のように、ふんわりとしておられまちた。本当にこれこそ、

「遠くから見ていると厳格そうでありまちゅ。側に近づくと実はおだやかでありまちゅ」

というやつでちたぞよ。

以上は謝上蔡ちゃんの「上蔡語録」に書いてありまちたあ。

泥人形のようにしてても、やさしいひともいるのだ、ということでちゅねえ。

ちなみに、

―――これを望むに儼然たり、これに即くや温なり。

というのは、「論語」子張篇のことば。

子夏曰、君子有三変。望之儼然、即之也温、聴其言也氏B

子夏曰く、君子に三変有り。これを望めば儼然たり、これに即くや温なり、その言を聴くや氏iはげ)し。

(孔子の弟子の)子夏さん(→参考「子夏之肥」が言うには、

「立派なひとは三段階の変化があるものでちゅ。遠くから見ていると厳格そうでありまちゅ。側に近づくと実はおだやかでありまちゅ。しかして、コトバをかわしてみると、かなり厳しい(T_T)

君子は威厳はあるが実は優しい、けれどなれなれしくすることはできない、という意味のコトバらしいでちう。

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宋・朱晦庵編「伊洛淵源録」(明道先生遺事)より。

上蔡先生・謝顕道ちゃんは「程門四先生」といわれる程明道・伊川兄弟の高弟の一人ですが、その性格は高きを求め過ぎるところがあり、晩年は罪に問われて官職を剥ぎ取られたりしたおばかちゃんでちゅ。上記の明道先生評も子夏は「君子三変」と言っているのに「二変」しかありません。「もう一変は自分で考えれば?」みたいはちょっと高いところから見下ろしている感じ、は感じられてしまいまちゅ。

宋儒についてはまた週末のゆったりした夕べなどに、暮れなずむ庭のほとりなどで語ってみたい・・・が、誰も聴いてくれないので語りません。

 

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