久しぶりでキモ画をアップした。

 

平成21年 2月11日(水)  目次へ  一昨日に戻る

昨日は仕事で帰宅が四時になってしまったので、もうイヤになって更新しなかった。表の仕事もうイヤ。ニンゲン社会への憎しみ燃え上がってくるです。九州から東京へ来て、11ヶ月と10日ぐらい経ちましたが、この間に悪性のストレスがたまりにたまってスナック菓子等の間食に化け、十キロ以上肥ったのです。
五十前の十キロはきつい。

さて。

韓非子・喩老篇に次のような寓話があります。曰く――

子夏が久しぶりで魯の国に来て、曾子のところに寄りました。・・・

子夏も曾子も孔子の弟子ですが、曾子の方は「子」がついていて「曾先生」と呼ばれています。「子夏」は字ですから、こちらは「子夏くん」程度の軽い呼び名である。このことから、このお話は戦国末になって、「曾子は孔子の後継者だった」ことになったころに書かれたお話だ、ということがわかってしまいます。が、どうせ寓話(たとえ話)ですから気にせずに進みます。

子夏は、姓は卜、名は商、子夏が字である。「史記・仲尼弟子列伝」によれば孔子より四十三歳年下であったという。孔子からは

商也不及。(商や及ばず)

商のやつはきちんとやりきることもできん。

と評されていますが、後にはかなりの弟子も持つようになった。論語の「子張篇」はほとんどが子夏の言葉で占められており、初期儒教教団の一方の旗頭であったようです。

曾子の方は、姓は曾、名は参、字は子輿、孔子より四十六歳若かったという。彼は孔子の死後、儒教教団の主力がおそらく斉に移った後、魯に残ったグループの中心的人物になったのだろう、と推測されますが、後世では孔子の正統を継ぎ、彼が孔子の孫である子思に教えを伝え、その子思が孟軻(孟子)に学統を伝えた・・・ということになった。「論語・先進篇」では

参也魯。(参や魯なり)

参のやつはのろまじゃ。

と評されていますが、「のろまゆえについに正統を得たのだ」(程伊川)と言われ、目端の利くようなやつよりのろまの方が大成する例にも引かれます。が、実際のところは上述のとおり、孔子教団の本宗では無かっただろう、と思われております。

・・・というような歴史的事実はあまり考える必要はありません。この韓非子のお話は寓話(たとえのおはなし)なので。

閑話休題。

・・・曾子は、やってきた子夏を見てびっくりした。

「うわ。

何肥也。

何ぞ肥たるや。

どうしてこんなにお肥りになられたのか?」

前回会ったときに比べて、すごく肥っていたのである。

「ぶっふふー」

子夏、にんまりと笑いて答えて曰く、

戦勝、故肥也。

戦勝す、ゆえに肥れり。

「戦いに勝った。だから肥ったんじゃよ。」

「ほう」

曾子、この答えに含みがあるのを感じて、問うた。

何謂也。

何の謂いぞや。

どういう意味ですか、その言葉は。

子夏答えて曰く、

吾入見先王之義、則栄之。出見富貴之楽、又栄之。両者戦於胸中、未知勝負、故臞。

吾入りては先王の義を見、これを栄とす。出でては富貴の楽を見、またこれを栄とす。両者胸中に戦い、いまだ勝負を知らず、ゆえに臞(く)せり。

わしは、学問の世界では古代の聖なる王たちの正義のことを考えて、これこそすばらしい、と思った。ふと現実の世界に戻ると、貴族や富豪が人民どもの犠牲の上に楽しく暮らしているのを見て、これこそすばらしい、と思った。この二つの世界が心の中で戦っていて、なかなか勝負がつかなかった。じゃから、以前は痩せていたのじゃよ。

「臞」(ク)は「やせる」の意。

今先王之義勝、故肥。是以志之難也、不在勝人、在自勝也。故曰、自勝之謂彊。

今は先王の義勝つ、ゆえに肥れり。是を以て志の難きや、ひとに勝つにあらず、自ら勝つにあるなり。故に曰く、自ら勝つ、これを彊(きょう)と謂う、と。

現在では、古代の聖王たちの正義の方がすばらしい、と思いが定まった。このためにぶくぶくと肥ったのじゃ。

このことから、ニンゲンの心がけというものは、他人に勝つことがたいへんなのではなくて、自分に勝つことがたいへんなのだ、ということがわかるというものだ。だからいにしえのひとは「自分に勝つことこそ本当の強さなり」と言ったのじゃ。

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以上。

肥ってしまうとメタボで悪ですから、先王の義より富貴の楽の方を選ぶべきではなかったのか!と思ってしまいますが、むかしのひとたちは、なんとなんとなんと、「肥っている方がかっこいい」と思っていたのです。ああ愚かなるかな。

この一事を以てしても、むかしのひとが劣っており、ゲンダイのわれわれは優れていることがわかろうというものだ。古典なんか読んでるのばからしくなった。早く寝ましょー。

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わずか三十年ぐらい前には

「コメのごはんは太るので体に悪い。(だけでなく頭にも悪い) パンと肉を食おう」

といわれて給食で一生懸命パンを普及させていたことを思い出します。

さらに、むかしのひとが「肥っている方がかっこいい」と信じていたのは、ゲンダイのひとが「髪の毛が薄いのはニンゲンとして劣っており、禿頭は恥ずかしいことだ」と信じているのと近いのではないか、と思い至った。数年前には「かんぽの施設は民間に売るべきだ」が使えると思っていたのですが・・・。

 

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