君子の争いは緩きこと草食動物の如し?
今冬最高の寒波がお見えになりました。寒い。頭の血管切れる。
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頭の血管が切れるついでにピキピキと難しい話をすることにして、今日はコドモ賢者さまにおいでいただきまして、ありがたいお話をお聞きします。
題材は、「論語」公冶長篇より、
子謂子貢曰、女与回也孰愈。
子、子貢に謂いて曰く、「なんじと回やいずれか愈(まさ)れる」。
先生が弟子の子貢におっしゃった、
「おまえともう一人の弟子である顔回とは、どちらがすぐれていると思うか?」
の章。
弟子の一人に対する「おまえは、おまえともう一人の弟子とどちらが優れていると思うか」という質問は正直ひどい気もいたします(※一番下を見よ)。このあとの会話は以下のとおり。
対曰、賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。
対(こた)えて曰く、「賜(し)や何ぞあえて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る」と。
子貢はお答え申し上げて言うた、
「賜(←子貢は字で、本名が「賜」)はどうして自分を顔回レベルになろうなどと望みましょうか(、いや望まない)。なにしろ、顔回は一を聞いたら十までわかるのです。わたくしは一を聞いて二を知るのがやっとなのでございます」
有名な「一を聞いて十を知る」の典拠ですね。
これに対し、
子曰、弗如也。吾与女弗如也。
子曰く、如(し)かざるなり。吾与女弗如也。
先生はおっしゃった。
「かなわないよな。吾与女弗如也」。
・・・というのが「論語」の中の二人の会話です。
さて、この下線部をどう読むか。
唐までの古注では、「与」を「〜と」という接続詞と読んで、
吾与女弗如也。
吾、なんじとともに如(し)かざるなり。
「わしもおまえも、かなわないよな、あいつには」
と子貢とともに顔回の優秀なのに感嘆した、というニンゲン味のある解釈になっており、これで科挙試験もオーケーだったのです。
ですが―――、
「おっほん」
とここでコドモ賢者さまが咳払いしてツケヒゲをひねりまして申されるには、
「聖人の孔子が、「ひとにかなわない」などということがありまちゅか?カンペキな方だったんでちゅぞ」
この「与」は「許」(ゆるす)の意でちゅ。したがって、下線部はこう読むべきなの。A
吾与女弗如也。
吾、なんじの如(し)かざるを与(ゆる)さん。
「わしは、おまえが「自分ではかなわない」と考えるのを許してやるぞ」
―――コドモ賢者さま、なぜ「許して」もらわねばならないのですか?
それは、「聖人学んで至るべし」(聖人にだって、頑張って勉強すればなれる!)というのが朱子をはじめとする宋学の基本スローガンだからでちゅよ。本来なら子貢は「かなわない」などと言わずに「わたしも頑張ってあのレベルになるぞ!」と言わないといけないのですが、あまりにもレベルが違い過ぎるので、「かなわない」と言って諦めてしまっても、「まあしようがないか、ゆるしてやるぞ」ということなのでちゅねー。
―――なーるほど。コドモ賢者さまは朱子学なんですね。
と、そこへ、
「えっへん」
と咳払いして、コドモ賢者A号さまが現れました。
コドモ賢者A号が言うには、
「コドモ賢者ちゃま、あなたの解釈には重大な誤りがありまちゅる」
「コドモ賢者A号どの、それはいったいどういうことでごじゃるやら」
「コドモ賢者ちゃま、人間にはもともと「良知」(良き知恵)が具わっておりまちゅるから、子貢と顔回に差は無いのでちゅ。だから孔子さまが子貢に「諦めてもしようがない」と「許す」はずはない。王陽明がこう申しておられまちゅる。 B
子貢多学而識、在聞見上用功。顔子在心地上用功。故聖人問以啓之。
子貢は多く学んで識り、聞見上に在りて功を用う。顔子は心地上に在りて功を用う。故に聖人は問いて以てこれを啓(ひら)くなり。
子貢はいろんな知識を学ぶため書物を見たり人から聞いたりすることに努力していた。これに対して、顔回さんは自分の心の動きを観察することに努力していた。聖人・孔子さまは、子貢の努力の方向が間違っているので、質問をして子貢が「あ、そうか、おれは間違っていた!」と気づかせようとしたのでありまちゅる。
ところが、
子貢所対、又唯在知見上。故聖人嘆惜之、非許之也。
子貢の対うるところ、また唯、知見上に在り。故に聖人これを嘆惜せり、これを許すにあらざるなり。
子貢の答えは、(「わたしは一のことから二までしか推測できませんが、顔回は一聞いたら十も推測することができるんですよー」と、)結局のところ知識の習得に関する(量的な)比較に過ぎなかったわけでちゅ。そこで、聖人・孔子さまは「あーあ、そんなこともわからんのか」とお嘆きになったのでちて、「許した」なんてことは無いのでちゅな」
そこでおいらA号は、この「与」を「与(くみ)する」と読んで
吾与女弗如也。
吾、なんじの如(し)かざるに与(くみ)せん。
「そうだな、わしもおまえが「自分ではかなわない」と考えるのはそのとおりだと思うぞ(、根本的にわかっとらんのだからなあ・・・)」
と解しまちゅる」
これを聞きましてコドモ賢者さまはお怒りになられ、
「なんでちゅって。ちょんなのこじつけでちゅよ」
とA号さまのほっぺたを、ぎゅぎゅぎゅ、とつねりました。
A号さまは
「ぶびい。うるちゃいの」
とこれまた反撃で、ぎゅぎゅぎゅ、とつねられまして、
「いたいの、うわ〜ん」「おまえが先に手を出ちたのでちゅ、うわ〜ん」
と争われまして、わたしどもは大いに混乱いたしまして、今宵はお開きといたしまする。
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コドモ賢者さまの説Aは宋・朱晦庵の「論語集注」より。コドモ賢者A号さまの説Bは明・王陽明「伝習録」(上・薛侃録)より。いずれも正しそうなのでわたくしどもオロカモノは困ってしまいます。
(※)のようにこの質問はヒドイなあ、と思ったひとは昔にもいたらしくて、この質問は(ア)子貢が増上慢に陥らないようにわざわざひどい質問をしたのだ、とか(イ)顔回の努力したような精神的な修養の重要性を後世に遺すために、孔子と(顔回以降の一番弟子であった)子貢がヤラセで質疑応答をしたのだ、とかいう説もあります。