(←最近ネコ描いてないんで、ネコの代わり)
今夜も寒いです。路上生活のひとはどうやって過ごしておられるのかな。野良ネコなども寒かろう。
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南宋初期に和平派の巨頭として絶大な権力を振るった秦檜さまのお孫娘さまは六歳か七歳、幼くしてすでに崇国夫人に封じられておられましたが、この方が一匹の獅猫(長毛・巨尾の猫、ということですが、以下めんどくさいので便宜上「トラネコ」と訳します)を飼っておられた。
このトラネコがある日、あろうことか、
忽亡之。
忽ちこれを亡う。
突然にいなくなってしまわれたのだ!
崇国夫人さまは悲しみのためにお泣きじゃくりになられ、
「おじいたま、なんとかちてー!」
と秦檜さまに訴えられた。秦檜さまはただちに
立限令臨安府訪求。
立限して臨安府をして訪求せしむ。
期限を付けて、首府・臨安府知事に命じてネコを探し求めしめたのである。
しかし、
及期猫不獲。
期に及ぶも猫獲られず。
期限になってもネコは捕まえられなかった。
府知事は致し方なく、「ネコさまを匿っている可能性がある」として、秦檜さまの御屋敷の周辺に住む人民を軒並み捕らえて牢屋に入れ、一方で「探索能力に劣化が見られる」として首府守備隊の兵官を弾劾した。
兵官皇恐、歩行求猫、凡獅猫悉捕致而皆非也。
兵官皇恐して歩行して猫を求め、およそ獅猫あればことごとく捕らえて致すもみな非なり。
守備隊長はおそれおののき、自ら先頭に立って歩き回り、トラネコというトラネコをすべて捕らえて秦檜さまのところに連行したが、どのネコもネコ違いであった。
そこで、
賂入宅老卒、詢其状、図百本於茶肆張之。
宅の老卒に賂入してその状を詢(と)い、百本を図して茶肆にこれを張る。
お屋敷の老門番に手厚く謝礼を贈って、そのトラネコの人相―――いや、ネコ相を聞き、それを百枚の図にしてあちこちの茶店に貼り出した。
しかし探し求めるトラネコは見つからない。
最終的には、
府尹因嬖人祈懇乃已。
府尹、嬖人に因りて祈懇してすなわち已めり。
府知事がお側用人を通じて崇国夫人さまにおゆるしをいただくよう懇願申し上げ、夫人さまから
「そのネコはもう要らなーい」
とおゆるしをいただいて、ようやくその事は止んだのであった。
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と、これは宋・陸放翁「老学庵筆記」巻三にある有名なお話である。
ところで、我が大元帝国の至正十五年(1355)、浙江総督の廬さまの家で
忽失一猫。
忽ち一猫を失う。
突然、一匹のネコちゃんがいなくなった。
ただちに靡下の役人らに命じて
捜捕之。
捜してこれを捕らえしむ。
ネコちゃんの大捜索を行わせた。
すると、ネコちゃんは浙江の東北部で捕獲されたのであった。
ああ。
権勢所在一至於此。可不歎乎。
権勢の所在、一にここに至る。歎かざるべけんや。
権勢が一か所に集まると、とうとうこんなバカげたことにまでなってしまうのである。嘆かわしいことではないか。
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元・楊瑀「山居新話」より。
宋代にとりあえず牢屋に入れられた人民どもがどうなってしまったか、記述が無いので心配ですが、元の時代のネコちゃんは見つかってよかったですね。にゃんにゃん。