平成27年1月24日(土)  目次へ  前回に戻る

ブタも高揚すれば雲の上に昇る?

今日は学生時代の先輩やら同輩やらと新年会。

オモシロかった。わははは。

この高揚したる気持ちを以て、やっと先週日曜日の続きを続けます。

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黄色い服の童子を連れた青年は、どこからともなくナンキンの町にやってきて、妓楼の前で鈴を振った。

落落有声、人狎親之。窺冠巾内有二毛、皆呼翁。

落落として声有り、人これに狎れ親しむ。冠巾内を窺うに二毛有ればみな翁と呼ぶ。

ろうろうと音がすると、店のひとたちは出てきて青年と親しく話をする。青年の頭にまいた頭巾のかげから、歳のころに似ぬ白髪がちらちらと見えたので、ひとびとはかれを「じいさん」と呼んだ。

「じいさん」と呼ばれた青年はお酒を好んだが、妓楼にやってきたのはお酒を飲むより別に目的があったのだ。

最初に現れたのは、「黄鶴楼」という妓楼であった。

逍遥楼上、揮毫梁翰、不下千万言。

楼上に逍遥して、梁翰を揮毫し、千万言を下らず。

上の階にふらふらと登って酒を頼むと、柱や梁にすらすらと筆で文字を書きはじめたのだ。あっという間に数千、一万字も書いてしまった。

これがすばらしい出来栄えであった。

妓女も主人も現われて感心している中で、「じいさん」は

擲筆而臥曰、吾酔矣、酔矣。

筆を擲ちて臥して曰く、「吾酔えり、酔えり」。

筆を放り出すとごろんと横になって、言った。

「わたしは酔っぱらってしまったよ、酔っぱらってしまったよ」

すると、黄色い服の童子が筆を拾い上げて言う、

翁酔也。

翁、酔えり。

「おじいたんが、酔っぱらってちまいまちたよー」

すぐにいずれ劣らぬ美しい妓女たちが我先にと青年を介抱し、主人も下へもおかぬもてなしを命じた。

酔翁之名、自此不能沈埋於人間。

「酔翁」の名、これより人間(じんかん)に沈埋することあたわずなりぬ。

このことがあってから「黄鶴楼のよっぱらいじいさん」の名声、世間に言いはやされるようになったのである。

ナンキン中の妓楼が彼に来てもらおうと招いたのであったが、青年はどの店にも返事はせず、どういう順番になっているのかわからないが、ある日ふらりとどこかの店の前に現れて鈴を振り、その店で酒食を得て、柱や梁に文字を書きつけたのであった。

さて。

 戦国のころ、斉の威王が賢者の淳于髠(じゅんうこん)を宴席に招いたときに、問うたという。

先生能飲幾何而酔。

先生よくいくばくを飲みて酔うぞ。

先生は、どれほどのお酒をお飲みになったら酔い潰れてしまいますかな?

と。淳于髠は七尺(140センチぐらい)に不足する短躯、容貌は恐ろしいほど醜かったというが、にこにこと答えた。

臣一斗亦酔、一石亦酔。

臣は一斗にしてまた酔い、一石にしてまた酔う。

やつがれは1.8リットルほど飲めば酔いつぶれてしまいまする。そして18リットルほど飲んでも酔い潰れまする。

「?」

王、疑うて訊ねた、

先生飲一斗而酔、烏能飲一石哉。

先生一斗を飲みて酔う、いずくんぞ一石を飲むをよくせんや。

先生は1.8リットルで酔いつぶれるとおっしゃる。どうして18リットルもお飲みになれるのか?

どうしてでしょう? 回答は「史記」巻126「滑稽列伝」中「淳于髠伝」を読むとわかります。(元は「戦国策」に拠る)→どうぞ

いずれにしろすごい量のお酒を飲むことができた、ということです。

 これも戦国の終わりごろのこと、楚の屈原が自殺しようとしてさまよっていたとき、漁師のおやじが声をかけた。

「おまえさまは楚国の祭祀を掌る大臣・屈原さまではないか? どうしてこんなところをさまよっていなさるのじゃ?」

屈原は答えた、

挙世皆濁吾独清、衆人皆酔我独醒。

世を挙げてみな濁れるに吾ひとり清(す)めり、衆人みな酔えるに我ひとり醒めたり。

世の中のひとびとはみなどろどろに汚れているのに、わしだけが清らかだからなのじゃ。ひとびとはみなぐでんぐでんに酔っぱらっているのに、わしひとりが目覚めているからなのじゃ。

そのあと漁師のおやじといろいろ会話するのだが、最後におやじは「滄浪の水が清めば襟を洗うべく、濁っているなら足を洗うしかしようがなかろうに」と捨て台詞を残して行ってしまい、屈原はふところに土石を入れて(重りにして)、どぶんと汨羅の淵に身を投げた。

これは名高い「漁父辞」(漁師のおやじのうた)に書いてあり、そのままそっくり「史記」巻84「屈原・賈生列伝」に載っている。(参考→「漁父辞」

・・・・・青年が言うには、

吾不能為淳于髠之酔、亦不能為屈子之醒。

吾は淳于髠の酔を為すあたわず、また屈子の醒を為すあたわず。

わたしは賢者・淳于髠のようには飲めません。けれど屈原先生のように目覚めていることもできません。

さらにいえば、

屈子惟自居於醒、而視世酔。世是以不容、竟懐沙以死。

屈子はこれ自ら醒むるに居り、しかして世を酔えりと視る。世はここを以て容れず、ついに沙を懐ろにして以て死せり。

屈原先生はただ自分だけが目覚めており、世間は酔っぱらっている、と見ていた。世間はそんな先生を理解せず、とうとう土砂をふところに入れて投身して死なざるを得なかったのです。

けれど、

酔翁雖不容於世、而世無能以死法死之。惟視衆人醒我独酔耳。

酔翁は世に容れられずといえども、世はよく死法を以てこれを死(ころ)すあたわず。これ、衆人を醒め、我ひとり酔うと視るのみなり。

このわたし「よっぱらいじいさん」は、世間に理解されているとはいえませんが、世間はわたしを法によって死刑にすることはできますまい。なにしろわたしは(屈原とは逆に)、みなさんの方が目覚めており、自分だけが酔っぱらっているのだ、とばかり考えているのですから。

そして青年は呪文でも唱えるように歌いだした、

吾寧以身之察察而受物之汶汶乎。寧以皓皓之白而蒙世之塵埃乎。

吾はむしろ身の察察たるを以て物の汶汶たるを受けんか。むしろ皓皓の白を以て世の塵埃を蒙らんか。

ああ、わたしは(屈原先生とは逆に)むしろ自分のきらきらと清潔な身に、他者のどろどろを塗りつけようではないか。むしろぴかぴかに白い上に、世間のごみくずをかぶらせてしまおうではないか。

と。

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この歌を、西王母さまがお聴きになったのかもしれない。

そして、黄鶴酔翁が世俗の波にもまれて疲れ果ててしまったのをかわいそうにお思いになって、白雲の上から翁にこんなことをおっしゃったのかも知れない。

吾自緱山失子、東海揚塵、已三千年矣。吾青鳥已帰、而爾黄鶴猶飛冥冥也。橘中之奕不可留、壁上蹁躚可復見乎。

吾の緱山に子を失いしより、東海に塵を揚ぐることすでに三千年なり。吾が青鳥すでに帰るに、なんじの黄鶴はなお冥冥を飛べり。橘中の奕は留むるべからず、壁上の蹁躚もまた見るべけんや。

「緱山でおまえがわらわの前から身を消してより、東の海が陸になるほどの時間が経ち、それからさらにまた三千年が経過したわいな。おまえが逃がしてしまったわらわの青い鳥たちはもうわらわのもとに戻ってきたのに、おまえの黄色い鶴はまだどこか暗いところをさまよっているようじゃ。みかんの実の中でうっていた碁はもう崩れてしまった。壁の上に画いてうろうろした絵も(いにしえの黄鶴楼は滅び去って)もう見ることはできない」

このコトバを聞いて、

酔翁蘧然而覚。

酔翁、蘧然として覚めたり。

酔翁が突然、自分の過去世に目覚めた・・・のかも知れない。

青年のすがたはしばらくしてナンキンの町から消えた。

おそらく剣と払子と笛を携え、

令黄童復化為鶴、騎之、随王母而去。

黄童をしてまた化して鶴と為し、これに騎りて王母に随いて去る。

黄色い服の童子に、「また鶴に戻れ」と命じて、

「わかりまちたー」ぼよよよ〜ん

と童子は鶴に戻り、それにまたがって、雲の上の西王母さまを追いかけて行った―――

のであろう。

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明・陳鑑「黄鶴酔翁伝」。要するに妓楼に文字を書いて食っていた青年がどこかに行ってしまった、彼はもしかしたら西王母のところから逃げてきていた黄鶴酔翁本人だったんじゃないかなあ、と妄想して書いた文章のようですね。

なお、わしにもそろそろ雲の上からの声が聞こえてきております。わしももうすぐ去るよ。いなくなってから「先生からあんなことやこんなことも教えてもらっておけばよかったのだ・・・」と後悔してもおそいのだよー。

 

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