平成23年11月13日(日)  目次へ  前回に戻る

 

明日はまた月曜日! 二世・肝冷斎ちゃんのような童子でも会社に御出勤しなければならないのでちゅか? おちょろちい資本主義の世の中なのね。でも二世・肝冷斎は会社には行きませんよ。明日は出社拒否ちまーちゅ。

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二世ちゃんでちゅから、基本的なところから行きます。

楚の大夫であった屈原ちゃんが追放されまちた。屈原ちゃんは江のほとりにやってきた。

川べりをふらふらと行きながら、時に苦しい歌をうたい、時に溜息をつく屈原ちゃん。その顔は憔悴して、体は枯れ木のように痩せ細ってしまっているのでちゅ。

漁父(ぎょほ。漁師のおやじ)がその姿を見て、声をかけた・・・というのが、「楚辞」の名高い「漁父辞」でちゅねー。(「史記」屈原伝で有名ですが、ここでは「古文辞類纂」巻六十三のテキストを用いた。)

漁父は言うた、

子非三閭大夫与。何故至于斯。

子は三閭大夫(さんりょたいふ)にあらずや。何故に斯(ここ)に至れるや。

これ、おまえさんは、楚の三代の御霊を祀る大臣・屈原さまではないか。どうしてこんなところに来たのかな?

屈原答えて言うた、

世人皆濁我独清、衆人皆酔我独醒、是以見放。

世人、みな濁り、我ひとり清し、衆人みな酔い、我ひとり醒む、ここを以て放たる。

世間のひとはみな濁っているのにわしひとりが清らかななのじゃ。もろびとはみな酔うているのにわしひとりが醒めているのじゃ。

だから、追放されたのだ。

漁父言う、

いにしえのひじりはどんなものにもとらわれることなく、世間とともに移ろうていったという。

世人皆濁、何不淈其泥而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟而歠其醨。

世人みな濁らば、何ぞその泥に淈(にご)り、而してその波を揚げざる。衆人みな酔わば、何ぞその糟を餔(くら)い、而してその醨(り)を歠(すす)らざる。

「淈」(クツ、コツ)は「にごる」、「醨」(リ)は「醇」(ジュン。濃い酒。引いては人情や人柄の篤きをいう)と対になって「うす酒」、引いては人情の薄いのを言う。

世間さまがみんな濁っているというのなら、どうしておまえさんもどの泥をかきまぜて濁し、波しぶきをあげさせてしまおうとしないのか。もろびとがみな酔うているというのなら、どうしておまえさんはその酒のカスを食らい、濃い酒の残りで作ったうす酒をすすり飲もうとしないのか?

どうして、深刻に考え、自分を高いところに置いて、とうとう追放されることになってしまわれたのかのう?」

屈原いう、

「わしはこのように聞いておるぞ。

新沐者必弾冠、新浴者必振衣。

新たに沐せる者は必ず冠を弾き、新たに浴せる者は必ず衣を振るう、と。

アタマを洗ったばかりのやつは、必ず(頭にかぶる)冠の塵を弾く(冠をきれいにするのである)。体を洗ったばかりのやつは、必ず衣服をばさばさと振る(ついている塵をとろうとするのである)。と。

本体をきれいにしたら身につけるものもきれいにしたくなるものなのだ。

どうしてこちらがこんなに賢いのに、他人のぼんくらを受け入れねばならないのか。

おお、漁父のおっさんよ、おまえには理解できるものではないのだ。わしは、

寧赴湘流、葬于江魚之腹中、安能以皓皓之白、蒙世之塵埃乎。

むしろ湘流に赴き、江魚の腹中に葬られんも、いずくんぞよく皓皓(こうこう)の白きを以て世の塵埃を蒙らんや。

湘水の流れに赴いて、江におよぐ魚の腹の中に死体を葬られたいものじゃあ!

こんなぴかぴかの白い心の上に、世の中のけがれた塵やほこりをかぶせて生きていくよりは、のう!」

漁父は

莞爾而笑、鼓竡ァ去。

莞爾として笑い、竅iかじ)を鼓して去る。

にこやかに笑いまして、梶を叩(いて拍子をとり)ながら、(舟に乗ってどこかに)行ってしまった。

フェイドアウトして行ったのだ。

消え去りながら歌を歌っていた。

その歌を耳そばだてて聴く。

滄浪之水清兮、可以濯我纓。  滄浪の水清まば、以て我が纓(エイ)を濯(あら)うべし。

滄浪之水濁兮、可以濯我足。  滄浪の水濁らば、以て我が足を濯うべし。

 滄浪江の水が清んでいるならば、ほい、わしも襟の飾りを洗おうぞ。

 滄浪江の水が濁っていたならば、ほい、わしは汚い足を洗おうぞ。

漁父はそのまま去ってしまい、

不復与言。

またともに言わず。

二度と彼と言葉をかわすことはなかった。

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伝説では、これは屈原ちゃんそのひとの文章で、屈原ちゃんはこの後、途中で自分で言っておりますとおり、江の水に身を投じて自殺した、というのでちゅが、自殺するひとがこんな文章わざわざ書く、ことはないように思いまちゅよ。

讀んでみると、一目で戯曲仕立てなのがわかりましょう。おそらくは古代のお祀りで演じられたお芝居形式の神事なのでちょう。

ところで、今日は古い知り合いに思いがけなくも駒込の東洋文庫で出会った。

「おまえさんは、肝冷斎にあらずや?」

と声をかけられたが、

「に、二世でちゅよ、し、知りませんよ」

とごまかそうとしましたが、ばれました。でも二世ちゃんなので、あまりいじめられず、優しくしてもらえまちたね。また会いましょう。

さて。

せっかく屈原ちゃんの「漁父辞」をご紹介いたしましたついでに、関連文書を御紹介しておきます。本朝・横井也有「鶉衣」より、「賀某剃髪文」(某の剃髪せるを賀する文)――なにがしさんが頭を剃って入道になりましたので、おめでたを申し上げる文――。

漁父が曰く、柳は物に凝滞せずよく春秋の風にしたがふと。

さるも官路にある中は、身を清からんとては、世にさからひて人に憎まれ、身を安からんとては、世にへつらひて心に恥づかし。今や浮世の髻(もとどり)をはらひて、二つの間に住み易き人あり。

滄浪の水すめらば頭巾あらふべし。

「漁父の辞」の中で漁父が言っていたと思うのですが、「柳はものごとにこだわらず、春にも秋にも風の吹くまま」と。(←実際には「柳」については言及されておらず、「いにしえの聖人」が物事にこだわらなかった、ということ(上記の下線部)が書いてあるだけですが)

たしかにお役所勤めの間は、自分は清らかでいよう、と思えば世間さまにさからうことになって「あいつは何だ」と嫌われる。自分はみんなと同じようにやっていこう、と思えば世間様にへつらうことになって心の中では恥ずかしい思いをするものだ。ところが、このひとは、ついに現世のもとどりを切り落としたので、自分のと世間の間でもう苦しい思いはしなくていいのである。

一句:滄浪の水が清んだときに、おまえさま、頭巾を洗いなされよ。

なるほど。よし、わしもいよいよもとどり切るか。年末ごろになるかな?

 

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