平成23年11月12日(土) 目次へ 前回に戻る
こんにちは。二世・肝冷斎ちゃんでちゅ〜。
今日は一世の福岡時代の若い知り合いの方々が東京へ出てまいっていまちたので、その方々と高田馬場で過去を偲んでまいりまちた。
一世同様、おいらも童子ながら高血圧で頭が痛いので、簡単にやりまちゅね。
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宋の時代の終わりごろ、江南の信州では町の守りを固くしようというので、大きな濠を掘って、これを「南池」と名付けた。
結局この町では元との戦闘は無かったそうなのですが、元の支配に入ったあと、ここは達魯花赤・滅徹(ダルガチ・ベチェ)の居城となり、ベチェ将軍は南池のかたわらに城館をお構えになられたのであった。
ところが、
毎春夏之交、群蛙聒耳、寝食不安。
つねに春夏の交に群蛙(ぐんあ)耳に聒(かまびす)しく、寝食安んぜず。
毎年、春の終わり夏のはじめのころになるとおびただしい数のカエルが鳴きうるさくてしかたがなく、将軍の家人たちは眠れなくなり、さらに食欲さえ減退してしまうのであった。
ある年、三十八代天師(後漢の張魯以来三十八代目にあたる天師道の教主)の張広徴さまがペキンの皇帝に御面会になられた帰りにお近くをお通りになられたことがあった。
将軍は人を遣わして、ねんごろに事の次第を申し上げてご相談したところ、天師さまからは
朱書符篆新瓦上
符篆を新瓦の上に朱書したる
赤い色の古代文字を真新しい粘土板の上に書きつけた
お札を下さった。
これを天師さまから教わったとおり、
投池中、戒之曰、汝蛙毋再喧。
池中に投じて、これを戒めて曰く、「なんじ蛙、再び喧(かまびす)しきことなかれ」と。
池の中に放り込み、いましめの言葉として、「おまえ、かえるよ。もううるさくすることなかれ」と唱えた。
すると、
自是至今寂然。
これより今に至るまで寂然たり。
以後、現代(明のはじめ)に至るまで、カエルの声は聞かれなくなったのである。
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「南村輟耕録」巻十より。二世・肝冷斎はコドモなので、考えが浅はかでちゅから、朱書した「新瓦」は実はラジウムとかのきついやつだったので、生物が生きていけなくなったのではないか、と疑ったりしてちまいまちたよ〜。そんなことないはずで大丈夫でちゅよねー。
今日は高田馬場でカエルの唐揚げも食べまちた。お昼に植村直己記念館でイヌイット方式で魚や獣肉をがんがん食べているの見たのでちょっと影響受けた。