平成23年11月14日(月) 目次へ 前回に戻る
今日はもうだめだ。やる気ない。
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これだけ書いて終わりにします。
欲忠則不孝、欲孝則不忠。
忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。
主君に忠義たろうとすればおやじどのを裏切ることとなり、おやじどののために謀ろうとすれば主君に忠義でなくなってしまうのじゃ。
と、平重盛が言ったというのは少年時代に聞いたのだが、やっとどこに書いてあるのかわかりました。
頼山陽「日本外史」巻一でした。
明治・大正の大ベストセラーで、「日本外史の読みかた」みたいなハウツー本がたくさん出ています。「司馬さんの言いたかったこと」「鬼平に学ぶ ひとを動かす手管」とかの感じで。
それの第一巻のはじめの方に出てくるんだから、人気の言葉になったんでしょうね。
「忠」も「孝」もチュウゴクの歴史に置いてみるとそれぞれ意義のある言葉で、古代なら都市国家における倫理と氏族の中の倫理、近世なら宗族制下における宗族外倫理と宗族内倫理を代表する概念だったのですが、日本の中世史の中に置いてみるとあんまり深い意味の無い言葉になってしまいます。ほんとに重盛さんがそういうマジメなひとだったとしても、わざわざ漢文でしゃべるはずないよなあ。
吾敵在本能寺矣。
吾が敵は本能寺にあり。
われらの敵は、(中国地方ではなく)本能寺におるんじゃ!
と明智光秀が言うた、というのも「日本外史」巻十四に書いてあります。以前から、何故光秀さんは漢文脈で話したのだろうか、と不思議だったのですが、漢文だったんですね。
というように、「日本外史」は知らず知らずにみなさんの歴史観をも「毒して」いるんですわ。
ついでに「桶峡」(おけはざま)の戦いの直前を見てみますと・・・
ああ、やっぱり夜明けごろ、信長自ら起ちて舞い、古謡を歌い、歌い終わってかぶとを取って馬上の人になっておりました。
「敦盛」を歌ったはずですが、「日本外史」(巻十三)では、
人世五十年、 人世五十年、
乃如夢与幻。 すなわち夢と幻の如し。
有生斯有死、 生あればすなわち死あり、
壮士将何恨。 壮士はた何をか恨みん。
ひとの人生は五十年ぐらい、夢とかまぼろしのようなもの。
生まれればいつか死ぬのがならい、ますらをが生死のことで何か後悔することがあろうか。
と、五言詩にされてしまっておりました。
ほんとに見てきたように面白い話をしてくれるのでおもしろいのですが、ほんとかなあ。
なお、豊臣氏の滅亡後も江戸時代を通じて織田氏の家系が続いたのは、(織田氏は平氏ですから)
識者以為其流沢遠出重盛之忠孝、近由信長之功徳也。
識者以てその流沢遠く重盛の忠孝に出で、近くは信長の功徳によると為す。
知識人の評価では、遠く重盛の忠と孝に悩んだ誠実さからはじまり、近くは信長さまの功績のおかげで、(織田氏は)余沢を得ることができたからなのである。
そうである。(巻十四)
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うそばかり並べているとやがて本当になる、というのは「読売ジャイアンツは球界の盟主」という「読売史観」でも多用されている手法ですね。沢村栄治がメジャー代表を一失点完投したのは一試合だけで、あとはぼこぼこに打たれているんですよ。
と、まあ、ついグチグチと文句を垂れてしまうのも月曜日だからでございましょう。栗原も機嫌直してくれたらしいし、月曜日としては心のどかなる日ではあったが。