平成23年11月15日(火) 目次へ 前回に戻る
今日もだめだ。やる気ないのでちゅ。しかし二世を襲名したばかりの肝冷斎は雑巾がけの身でちゅから、がんばって更新いたちまっちゅ。
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先だって、王敦の四友の話をしましたので、このひとたちがどんな人であったか、当時の貴族の方々の御振舞がどうであったのか、を少し御紹介しておきましょう。
○庾凱(字・子嵩)
庾子嵩読荘子、開巻一尺許便放去、曰了不異人意。
庾子嵩、「荘子」を読むに、巻を開きて一尺ばかりにしてすなわち放去し、曰く「人の意に異ならざるを了す」と。
庾子嵩は「荘子」を読み始めたが、第一巻をくるくると読み始めてわずか一尺、何十字分かを讀んだだけで、これを放り出してしまった。
「なぜお読みにならないのか」
と問われて言うには、
「この書に書いてあることと、わしの考えとが寸分異ならないことがわかったからじゃ」
と。(「世説新語」巻四)
○王衍(字・夷甫)
王衍と庾凱はお互いに尊敬しあっていて、
庾卿之不置。
庾、これを卿として置かず。
庾凱は王衍を呼ぶとき、「卿」(あなたさま)という尊称を用いた。
王衍は気味悪がって、
君不得為爾。
君、為すを得ざるのみ。
「あなた、それはやめてくださいよ」
と言うたのだが、庾凱は
卿自君我、我自卿卿。我自用我法、卿自用卿法。
卿は自ずから我を「君」とし、我は自ずから卿を「卿」とす。我自ら我が法を用い、卿自ら卿の法を用うるなり。
「あなたさまは自然にわしのことを「あなた」と言い、わしは自然にあなたさまのことを「あなたさま」と言いました。わしは自分のやり方でやっておりまして、あなたさまはあなたさまのやり方でやっておる、ということですよ」
と理屈をこねて、「卿」「卿」と言い続けたということである。(「世説新語」巻五)
○王澄(字・平子)と胡毋輔之(字・彦j国)
王平子、胡毋彦國諸人、皆以任放為達、或有裸体者。
王平子、胡毋彦國諸人は、みな放に任すを以て達と為し、あるいは裸体者あり。
王澄や胡毋輔之らは、みなほしいままにすることが道に達した姿だと思っており、往々にして素っ裸でごろごろしたりしていた。
皮肉屋の楽廣が彼らを指さして、
名教中自有楽地、何為乃爾也。
名教中に自ずから楽地あるに、何すれぞすなわち爾(しか)するや。
名分・礼節を重んじる儒者の境地にもおのずと楽しいところがあるというのに、こいつらはどうしてこんなことをしておるのだ?
と言うて、げらげら笑った、ということである。(「世説新語」巻一)
・・・・・・・などなど、いくらでも出てきますよ。なぜなら、わしは張万起・劉尚慈訳注、中華書局1996年版の「世説新語」をこの間部屋の中から掘り出した。この本には詳細な人名索引が着いているので、たとえば「王澄」を引けば引用した巻一の記述をはじめ18か所で登場すること、などがすぐわかるからなのじゃー! ・・・と、まずいまずい。わしは既に童子形になっておりましたのじゃった。・・・言い直しまちゅね。
二世ちゃんにもわかるのでちゅよー!
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「晋書」では彼らは
去巾幘、脱衣服、露醜悪、同禽獣。甚者名之為通、次者名之為達也。
巾幘を去り、衣服を脱し、醜悪を露(あら)わし、禽獣に同じうす。甚だしきものはこれを名づけて通と為し、次なる者はこれを名づけて達と為す。
頭巾や冠などを取り去り、着ているものも脱ぎ捨て、見せてはいけないものを露出し、鳥やけだもののような暮らしをしていた。そして、その中でもすごいものを「道に通じた」といい、その次の段階のものを「道に達した」状態だと言いあっていた。
というのである。貴族どもの生活、イヤになってまいりますね。労働貴族やIT長者はこんなことはない・・・のかな?
ちなみに、いきなひとを指していう「達人」「通人」という語はここから出ております。