特に申し上げねばならないことも無いので、ちょこちょこ、と適当なこと講話して、寝ますわ。
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えー。六朝、東晋の時代のことじゃ。
権勢並び無き大将軍の王敦が本拠地の武昌から都の建康に一時戻ってきたとき、多くのひとが先を争って面会を求めたが、その中に名士と評判の庾亮もいた。
庾亮、同僚たちとともに並び立って、王敦に面会する。
型通りに挨拶の後、庾亮は問うた。
聞卿有四友、何者是。
卿に四友ありと聞く、何者ぞこれなるや。
「将軍さまには四人の朋友がおられると聞くが、どなたがたですかな」
○ダルタニアンが友を選ばば「三銃士」→合わせて「四銃士」になる。
ように、王敦に「四友」があるということは、五人が朋友としてつるんでいる、ということである。
気位の高い王敦は、若輩の庾亮を見くだすように答えた。
「中郎の庾子嵩、大尉の王衍、その弟の王澄、湘州刺史の胡毋輔之の四人だな」
「ほうほう、立派な方々ばかりですなあ。その方と、王将軍の五人がお友達、だと・・・」
「ふん。若いころからの付き合いじゃからな。まあ、中では
阿平故当最劣。
阿平、もと最も劣に当たる。
お平のやつ(王澄の字が「平子」なので、親しみをこめてこう呼んだ)がもとから一番劣っているんじゃないかのう」
庾亮は、
「ほう。・・・いやいや」
とかぶりを振った。
似未肯劣。
いまだあえて劣らざるがごとし。
「王平子さまは立派なお方、決して一番劣っているとはいえますまい。
ところで、その中では
何者居其右。
何者ぞその右に居る。
どなたが一番すぐれておられるとお思いですかな」
すると、王敦は、「わはは」と笑い、言うた、
噫、其自有公論。
噫(い)、それ、自ずから公論有り。
「おお。それには、おのずから公正な世論というものがあるじゃろう」
「さてさて、如何ですか・・・」
と言いかけたところで、庾亮の隣にいたひとが、
躡公。
公を躡(ふ)む。
庾公の足を踏みつけた。
―――そのあたりにしておきなされ。
という意味である。
庾亮は
「はいはい、そうですのう」
と勝手に納得してそれ以上は問わなかった。
すなわち、王敦は、公正な世論があって、自分が一番すぐれていると評されているだろう、と言いたかったのである。庾亮は、(後に反乱を起こすような気位の高い王敦が)王平子より劣っているのではないか、と言いたかったのである。
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こほん。「世説新語」巻九より。
ということであるから、人に足を踏まれたときは、自分の言行に何か落ち度があったのではないかと覚って、行いを慎まねばらぬのですぞ。
ちなみにここでは何となく逆説的になってしまっていますが、このお話をもとにして「自有公論」(おのずから公論あり)→「自然に公正な世論が形成されているものだ」という四字熟語が作られておりますので念のため。