無心でやればコワいものなどない!
ぐぎぎ。本土は寒い・・・。しかし温暖斎は永遠なり!です。昨日の「斉丘子」の記述で明らかなとおり、無心でいれば限界などないのだあ!
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これは有名なお話ですのでみなさんもどこかで耳にしているかも知れませんが―――。
宋の大儒・程伊川先生は、対立する新法党のやつらに陥れられて涪州に左遷された。
その途上、漢江の渡し船に乗ったときに、
船幾覆。
船ほとんど覆らんとす。
渡し船が転覆しそうになった。
舟中人皆号泣、伊川独正襟安座如常。
舟中の人、みな号泣すも、伊川ひとり襟を正して安座すること常の如し。
舟に乗っていたひとたちはみな叫び喚いたが、伊川先生だけは襟を正し、いつものようにゆったりと座っておられた。
伊川先生はコワい厳格なひとなので、そのままで訳しますとコワいので、コドモ賢者であったことにします。
さて、舟はずいぶん揺られましたが、なんとか無事向こう岸に近づくことができた。
比及岸、有父老問曰、当船危時、君独無怖色、何也。
岸の及ぶころおい、父老の問う有りて曰く、「船の危うき時に当たりて、君ひとり怖色無きは何ぞや」と。
向こう岸に着く直前、ひとりの老人が伊川先生に訊ねた。
「さっきこの舟はたいへん危険な状況にあったが、おまえさんはコドモなのに、ただひとり恐れるふうもなかったのう。どうしてかな?」
コドモ賢者は答えました。
心存誠敬耳。
心に誠・敬存するのみ。
「心に「まこと」と「つつしみ」があるからでございまちゅよ」
「ほうほう」
父老曰心存誠敬固善、然不若無心。
父老曰く、心に誠・敬の存するはもとより善し、しかるに無心には若かざるなり。
老人は言った。
「心に「まこと」と「つつしみ」がある、のは確かに善いことじゃのう。しかし、心が無であるのにはかなうまい」
「むむう、でちゅう・・・」
やっぱり無心がいいのだなあ。
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宋・邵伯温「邵氏聞見録」より。なお邵伯温は、程氏兄弟たちと同世代の北宋の特異な思想家・安楽窩先生・邵雍の子。
さて、程伊川先生は憮然として無言であった、とも言いますし、あるいは一言反論した、とも言います。もし反論したとしたらなんと反論したでしょうか? 答えは(清の鈍叟・茅星来先生の説では、ですが)→こちら!