平成27年1月4日(日)  目次へ  前回に戻る

コドモのやることにメクジラ立てないで〜。

明日もう平日でっせ!

どう抵抗しても明日が来てしまいます。今日はもう諦めて、エライひとの説教でも聴きましょう。

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今人之学如登山麓。方其易処、莫不闊歩、及到難処便止。

今人の学は山麓に登らんとするが如し。その易処にあたりては闊歩せざるなきも、難処に到るに及べばすなわち止む。

よく考えるとわたしどもは、ほんとにエライひとの前だと萎縮してしまいます。そこで、仮に、このエライひとはコドモのエライひとだ、ということにします。コドモだったらコワくないので萎縮せずに聴けると思いますので。

―――えー、おっほん。みなちゃん、こんにちは。

ゲンダイのみなちゃん。みなちゃんの「学び」は、まるで山の麓から登って行こうとしているときとそっくりでちゅよ。

たやすいところを昇っているうちは、大股にどんどん歩いて行くのですけど、厳しいところまで来ると立ち止まって進もうとしなくなってしまっているではありまちぇんか。―――

「学」は受験勉強やアカデミズムでの学問研究のことではなく、日常坐臥、事業実務の上に「安心立命」を目指す(彼らの言葉でいう)「実学」のことですから念のため。

―――まあでも、

人情是如此。

人情これかくのごとし。

ニンゲンのやることでちゅからね。こんなふうになってしまうものなんでちゅよね。―――

「そうですよね、ニンゲンですから、もうしようがない。おいらたちはダメなんですよね」

とわたしどもはもう諦めムードになりましたが、コドモ先生はパン、と扇子で膝を叩きまして、

―――ところが、でちゅ。ニンゲンだからしようがないのだ、もう諦めまちゅよう・・・などと思ってはいけません。実は、立ち止まる必要は無いんでちゅ。

山高難登、是有定形、実難登也。聖人之道、不可形象、非実難然也、人弗為耳。

山高きは登りがたし、これ定形ありて実に登りがたきなり。聖人の道は形象すべからず、実には難然たるにあらざるなり、人の為さざるのみなり。

山が険しくなれば登るのは難しくなる。これは物理的に実際にそうなっているのだから登りづらくて当然なんでちゅ(。そこで立ち止まるのは仕方がありません)。ちかち、聖人の教えというのは実際に物理的に難しいのではないのでちゅよ。本当は歩きやすいんでちゅ。なんじらみなちゃんがやろうとしていないだけなんでちゅよ!―――

―――よろちいでちゅか?

「論語」を開いてみてくだちゃいね。

孔子の高弟である顔回さんがあるとき、

喟然歎曰。

喟然(きぜん)として歎じて曰えり。

「ああ」とためいきをついて、言った。

仰之弥高、鑽之弥堅。瞻之在前、忽焉存後。夫子循循然善誘人・・・。

「これを仰げばいよいよ高く、これを鑽(き)ればいよいよ堅し。これを瞻(み)るに前に在り、忽焉(こつえん)として後に存す。夫子循循然としてよく人を誘う・・・」。

とてもすごいモノについて、「ソレを見上げればどんどん高くなってどこまで見上げても全体像がわからない。ソレに金属の錐で穴を開けようとするとどんどん堅くなって絶対穴を開けることができない。ソレはずうっと前にあってそれに追いつこうと進むと、あっと気づいたときにはいつの間にか後ろにある。」という言い方があるが、この「ソレ」とはまさにうちの先生のことではなかろうか。先生はうむこともなく我々をうまく教えようとしてくださるのだ・・・・。

という一節がありまちゅね(「子罕篇」)。

顔回さんの言葉の、

―――これを仰げばいよいよ高く、これを鑽ればいよいよ堅い。

これは、

非是言聖人高遠実不可及、堅固実不可入也、此只是比喩、却無事。

これ聖人高遠にして実に及ぶべからず、堅固にして実に入るべからざるを言うにあらず、これただこれ比喩、却って事無し。

聖人の境地が気高く遠いところにあるからホントに追いかけることができない、とか、聖人の思想信条が堅いのでホントに入り込んで理解することができない、とか、そんなことを言っているのではないのでっちゅ。これはただの比喩なので、ここのところにはあんまり意味は無いのでっちゅ。

意味があるのは、

―――これを瞻るに前に在り、忽焉として後に存す。

という精神的な自由さみたいなところにあるんでちゅよー。わかってくれまちゅか?―――

「わかりますよ、孔子さまがホントウに見上げ入道のように見上げればどんどん大きくなったり、万国びっくりショーのように金属でぶちゅっと刺しても穴が開かず大丈夫、だったりするはずはないので、比喩に決まっていまーす」

とお応えしますと、コドモ先生にっこりお笑いくださいまして、

―――はい、では、今日はここまで。もう夜遅いのでコドモは起きていると叱られまちゅので。おとしだま数えて寝まーちゅ。―――

ということで今日はおちまい。

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「二程集」より。「二程」とは宋の大儒・程明道先生と程伊川先生の御兄弟のことですが、これは弟の程伊川先生のお言葉でした。

程伊川先生はホントは超絶にコワいひとですが、コドモでやっていただけますとあまりコワくなくてよくわかるので、ついていけるような気になりますよね。ね? あしたからの平日、会社のみなさんもコドモでやっていただけるといいのですが・・・。

 

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